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COLUMN コラム

悠久の国インドへの挑戦

2018.12.17

「悠久の国インドへの挑戦」66 インド基礎知識そのXXIII :インドの財閥について(7)

藤崎 照夫

Victoria Memorial(インド東部、西ベンガル州)

 これまで数回にわたりインド最大の財閥であるタタグループについて書いてきましたが、今回は現在のタタグループの総帥であるラタン・タタと彼の業績などをまとめて、タタについての話の最終回にしたいと思います。新経済政策導入の真っただ中の1991年にラタン・タタが5代目会長に就任しました。彼は1937年に生まれ米国コーネル大学建築学科を卒業しIBMへの就職内定を断ってロスアンジェルスの建築会社で少しだけ勤務しています。

 四代目会長のJRDタタの誘いで1962年に米国から帰国しタタ製鉄に入社し肉体労働者として下積みから仕事を始めています。その後1977年に完全に時代遅れとなった綿紡績エンプレス・ミルズの経営再建に参加し、1981年には財閥持ち株会社タタ・インダストリーズに会長に就任し、そして1991年にJRDタタから財閥経営権を継承しタタ・サンズ会長に就任しました。以下彼とグループの活動及び業績に触れていきたいと思います。

 ラタン・タタは「グローバル化対応」と「持ち株会社タタ・サンズを対象としたガバナンス強化と事業整理」に着手します。例えば傘下のセメント国内最大手ACCを売却します。業界最大手でありながら手放した理由は競合するビルラ財閥が複数のセメント会社を持っており、財閥単位ではビルラが同分野では倍以上の規模があったからです。
 タタ財閥が行った過去最大の買収案件は同業大手の英蘭系コーラスの買収です。この背景には印僑の富豪ラクシュミ・ミタルの存在があります。

 ミタル率いるミタル・スチールは2006年、同業で世界トップを争う欧州アセロールを買収し「アセロール・ミタル」が誕生しました。圧倒的世界最大手が確実となった直後にミタルは、更なる世界展開の一つとして「インドでの買収模索」を公言しタタ財閥に動揺を与えました。ミタルの好戦的態度に対しタタは持ち株会社タタ・サンズによるタタ製鉄株の保有比率を20.04%から10%引き上げると発表しました。

 その三か月後、タタは更に「一瞬にして規模を拡大する」という究極の防衛策に出ます。粗鋼生産量世界七位の英蘭系鉄鋼大手「コーラス」の買収です。ブラジル鉄鋼大手CSKとの入札競争に勝ち、自身よりはるかに大きい同社の買収に成功したのです。粗鋼生産量で世界五位に躍り出たことで同様の位置にある韓国ポスコや新日鉄などと提携し、ミタル防衛体制を構築していったのです。この買収劇はいわゆる「小が大を飲む」といった形で日本でも報道されたのを記憶されている方もいるのではないかと思います。

 傘下記企業のなかで、特にタタ自動車では「大型買収による債務負担増」「ローン環境悪化による販売台数の激減」で資金繰りが極度に悪化しました。そもそも同社は金融危機が発生する前から別件で苦戦が続いていました。インド東部の西ベンガル州に建設していた超小型自動車「ナノ」の工場が地元住民による猛烈な反対運動で建設中止に追い込まれ、稼働直前だったにも拘わらず同地を諦めて新たな移転先を決定しなければなりませんでした。

 この「ナノ」プロジェクトはインド国民の足となるような廉価な自動車を提供したいというラタン・タタの熱い思いでスタートしたプロジェクトでしたが日本円で20万円ぐらいの価格設定でしたが「安全性が心配だ」とか「小さ過ぎて家族全員が乗れない」などのユーザーの声が多く、グジュラート州の新工場で生産を開始したものの当初計画の台数をはるかに下回る実績となり現在では忘れられた存在になりつつあります。

 またタタ財閥の買収劇で有名なものに英国ジャガー&ローバーの買収が挙げられます。
 「かっての植民地だったインドの企業が英国の名門老舗企業を買収した」と世界でも広く報道されました。当時はこの買収は大変リスクが大きいとも言われていましたがこの撒いた種が実を結びジャガー&ローバーが黒字化しタタの業績に貢献するとは当時は誰も想像出来ないことでした。

 多くの財閥で問題となるのが「後継者争い」ですが、タタ財閥にとって「後継者がいない」ことが問題となっています。ラタン・タタは独身で子供がおらず後継者が決まっていません。タタ財閥は、後継者選定委員会を設置して「同族会社ではない」ことをアピールし国内外これまで多くの白羽の矢をたててきましたが未だに決まっていません。歴代の会長は「タタ家か姻族」かつ「パルシー」ですが、ラタン・タタは「後継者は同族かパルシーである必要はない」と述べています。タタ財閥については歴史も古い企業だけに数か月に亘る記述になりましたが日本ともつながりの深いグループであることは御理解頂けたのではないでしょうか。

藤崎 照夫

Teruo Fujisaki

PROFILE

早稲田大学商学部卒。1972年、本田技研工業(株)入社後、海外新興国事業に長年従事。インドでは、二輪最大手「Hero Honda」社長、四輪車製造販売合弁会社「Honda Siel Cars India」初代社長として現地法人トップを通算10年務める。その後、台湾の四輪製造販売会社「Honda Taiwan」の初代社長、会長を務めた後2006年同社退職。現在はサンアンドサンズ社、ネクスト・マーケット・リサーチ社等の顧問として活躍インド、アジア事情に幅広く精通している。

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