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COLUMN コラム

悠久の国インドへの挑戦

2018.07.30

「悠久の国インドへの挑戦」61 インド基礎知識そのXVIII:インドの財閥について(2)

藤崎 照夫

デリーの街並み

 先月号でインドの財閥の起源をなす「パルシー」と「グジュラティ」について述べましたが、今月は先ず最初に残りの一つの「マルワリ」について話を進めたいと思います。
 「マルワリ」はラジャスタン中西部のマルワル地方出身という地縁に基く商人コミュニティです。18世紀になって同地域での商売拡大が見込みにくくなって主としてインド東部のムルシダバードやカルカッタなどのベンガル地域に移動して商業、金融業を展開していきました。

 英国による植民地経済が拡大すると、これに伴ってインド全土に拡大して南部を除くほとんどの地域に住み着いて金貸しや商業を始め、有力なマルワリ商人はイギリス商人と取引を開始するようになりました。時世の流れに対応して急成長するよそ者の「マルワリ」は、元々ベンガル地域にいた保守的上流階級であるヒンドゥー・エリートから嫌われる存在でしたが英国利権の下で活躍していたベンガル商人を徐々に排除し入れ替わることに成功していきました。一方で英国支配の強い同地では経済上の従属関係が長く続き、ボンベイの商人に比べて財閥化は遅く、20世紀に入ってからになります。

 なお、「マルワリ」はラジャスタン地方出身の商人ですが、実際に財閥化していった「マルワリ」の出身地域はさらに限定されておりほとんどが現ラジャスタン北部のデリーから西へ150キロほどのシェカワティ地域に集中しています。この「マルワリ」出身の財閥にはビルラ財閥、バジャージ財閥、ゴエンカ財閥など数多く、最も多く財閥を輩出したコミュニティと言えます。

 東インド会社:インドの財閥形成と深いつながりを持つ東インド会社について少し詳しく説明してみたいと思います。英国東インド会社は1600年大航海時代のアジア貿易を担うため英国王特許状により民間の貿易会社として設立されました。1757年、ブラッシーの戦いで商業組織であった英国東インド会社はベンガル太守軍とフランス、東インド会社軍に勝利を収めました。そしてこの勝利によってベンガル地域とその周辺の徴税権を獲得し「植民地支配の公権力を握る組織」と変貌しこれがイギリスによるインド植民地化の始まりとなります。

 インドは、ムガール帝国やマラータ同盟という緩やかな統治の下に藩王などの諸侯が乱立していましたが、この時に東インド会社は。多数ある小国家のうちの「インド東部にある小国家」になったのです。ベンガル地域のインド人に対して直接的に経済支配が可能になると、英国東インド会社の社員の利権で大儲けをするネイポップ(英国人のインド成金)が現れるようになります。そしてインド商人のなかには「ゴマスタ」と呼ばれる東インド会社の代理店を始める者が出てくるのです。

 東インド会社は貿易を行うにあたって、下請けの商人が必要でした。それらのインド貿易の代理人は独占力の庇護の下で商売を行っていたため、彼等も特権的商業活動を行っていました。彼等とは「東インド会社の元社員」の場合もあれば、「英国の自由商人」、そして「インド商人」「インドにいるユダヤ商人やアルメニア商人」などの場合もありました。これらの商人たちと東インド会社との関係は、時に競合であり、時に利害の一致するパートナーでもありました。

 この状況はインド商人にとっては、千載一遇の機会の到来の始まりでした。東インド会社は税収をより増大させるために、1793年に地租制度を整えました。これは「ザミンダーリー制」と呼ばれている地租制度です。極端な重税のために土地を手放す地権者が多く、これによって、旧来型の地権者は地租を払うために高利貸しに手を出し、結果的に土地を失いやすくなってしまったのです。高利貸しを兼務するインド商人にとって有利な環境ができたことになります。東インド会社が税徴収に勤しむようになったため、インドの商業活動に必要な免許を持たない英国自由商人を黙認し、奨励する状態となっていったのです。今月はこのあたりで筆を置きたいと思います。

藤崎 照夫

Teruo Fujisaki

PROFILE

早稲田大学商学部卒。1972年、本田技研工業(株)入社後、海外新興国事業に長年従事。インドでは、二輪最大手「Hero Honda」社長、四輪車製造販売合弁会社「Honda Siel Cars India」初代社長として現地法人トップを通算10年務める。その後、台湾の四輪製造販売会社「Honda Taiwan」の初代社長、会長を務めた後2006年同社退職。現在はサンアンドサンズ社、ネクスト・マーケット・リサーチ社等の顧問として活躍インド、アジア事情に幅広く精通している。

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