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COLUMN コラム

悠久の国インドへの挑戦

2019.01.15

「悠久の国インドへの挑戦」67 インド基礎知識そのXXIV :インドの財閥について(8)

藤崎 照夫

ケララ州の風景

 読者の皆様新年明けましておめでとうございます。これまでも私のコラムをお読み頂きありがとうございます。昨年はインドで最も歴史がありまた最大手の財閥であるタタグループについてかなり詳細に記述しましたが、今年の最初はタタ同様に長い歴史を持つビルラグループについて話を進めて行きたいと考えていますのでよろしくお願い致します。先ずビルラグループの生い立ち、歴史からスタートしたいと思います。

 ビルラ家は「マルワリ」という共同体に属しており、多くのマルワリ財閥がラジャスタン地方の北部に起源を持っていますがビルラ家も代々この地域に住んでいました。
 1838年にビルラ財閥の初代会長であるシブ・ナラヤン・ビルラが生まれています。
 当時ボンベイには成功したマルワリ商人の先達によって建てられた集合住宅があり、新参者はそこで安く生活の場を借りることができ、先輩商人から様々な商売上の掟を教わることができたのです。ビルラ財閥はこのシブ・ナラヤンがボンベイに移住した1860年をビルラ財閥が「誕生した年」としています。

 シブ・ナラヤンは綿花取引や金貸し業を行い、マルワリ商人として自立していき1863年長男バルデイオが生まれバルデイオが15歳になった1879年に「シブナラヤン=バルデイオ・ダス商会」をボンベイに設立します。1883年に二代目バルデイオ・ダスの長男JKビルラが生まれます。バルデイオ・ダスは1900年JKビルラが17歳になった時にかっての父と同じように「父と子」の名を冠した「バルデイオ・ダス=シャガール・キショール商会」を設立し、阿片取引で頭角を現していきます。

 1894年にバルデイオ・ダスの三男ガンシュマ・ダス・ビルラ(通称GDビルラ)が生まれますがこのGDビルラが商人から財閥への転換を果たす中興の祖となります。
 マルワリの伝統として幼くして結婚することが慣例となっていたため、祖父のシブ・ナラヤンは12歳のGDのために嫁探しをしてGDは13歳で結婚しています。その後兄の手伝いをしながらボンベイで過ごしていましたが16歳になると独立を志してカルカッタに渡り、そこで英系企業との仲介取引を始めすぐに気鋭の若手商人として知られるようになります。

 1914年に第一次世界大戦が勃発するとインドの経済状況も一変します。当時ビルラ家は三つの商社を持っていましたがビルラ家の資産はこの戦時下で四倍に膨れ上がります。先ず、銀貨需要による銀の国際価格が上昇し銀の投機を行っていたビルラ一族はここで莫大な利益を手にします。また日毎に激しさを増す戦禍は、インド特有のジュート産業を戦略上重要な軍需産業に変えていきます。ジュートは「黄麻」とも言いますが今日ではそのほとんどが南アジアで生産されています。

 ジュートは耐火薬性が高く、丈夫であり軍のコートやカバン、土嚢、輸送用の袋などあらゆる軍事物資に利用されました。 消耗戦に突入したイギリスがインドに要求する土嚢の数は日毎に増加していき、インドが第一次大戦を通してイギリス軍に供給した土嚢の数は実に約14億袋でいかに膨大な需要かお分かり頂けるのではないかと思います。そのような背景でインドのジュート産業はバブル的要素を示していきます。1914年、ジュート産業の払込資本に対する純利益率は10%でしたが、1915年には58%、そして需要が最高潮に達した1917年にはなんと149%まで跳ね上がったのです。つまり資本を投下して一年を経たずに回収出来たのです。

 ビルラ家はカルカッタ証券取引所でジュートやブーツ製造企業の株式取引も行っていました。主にヘッジ目的でしたがこの成功は既に一般的な商人の域を超えていました。
 莫大なジュート需要を目の当たりにしてGDビルラは、ジュート事業への進出を決意します。この決断がビルラ財閥を大きく発展させる礎となりますがこの後のストーリーは次回に譲りたいと思います。

藤崎 照夫

Teruo Fujisaki

PROFILE

早稲田大学商学部卒。1972年、本田技研工業(株)入社後、海外新興国事業に長年従事。インドでは、二輪最大手「Hero Honda」社長、四輪車製造販売合弁会社「Honda Siel Cars India」初代社長として現地法人トップを通算10年務める。その後、台湾の四輪製造販売会社「Honda Taiwan」の初代社長、会長を務めた後2006年同社退職。現在はサンアンドサンズ社、ネクスト・マーケット・リサーチ社等の顧問として活躍インド、アジア事情に幅広く精通している。

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