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COLUMN コラム

悠久の国インドへの挑戦

2019.04.08

「悠久の国インドへの挑戦」70 インド基礎知識そのXXVII:インドの財閥について(11)

藤崎 照夫

Golden Temple

 今月も先月に引き続きビルラ財閥の活動について記述していきたいと思います。60年代後半から70年代にかけてインドの社会主義的傾向は拡大していきます。GDビルラは「財閥規制」に舵を切り迷走するインディラ・ガンディー首相に失望していました。さらにビルラが拠点を多く持つ西ベンガル州は共産主義が強かったのです。
 州首相をはじめとして州の政治家たちは、ビルラを攻撃の的にして人気を集めるようになっていったのです。ビルラが地元のために学校や病院を建設しても「脱税」と揶揄されるだけでした。

 左傾化時代の格好の標的にされてしまったGDビルラは次第にマスコミの前に姿を現さなくなりました。表舞台に姿が出さない一方で、GDは80歳を超えてなお経営に携わり続けました。晩年のGDが関心を持ち続けていた企業は三つありました。グワリオールレーヨン(後のグラシム・インダストリーズ)、ヒンダルコ、マイソール・セメントでした。数百ある傘下企業群のなかでこの三つを気にかけていました。マイソール・セメントはその後ビルラの本流ではないSKビルラの企業になり衰退し現在は売却されています。

 この三つの企業の内二つが現在の中核企業をなっています。当時これらの企業は財閥の中で売り上げが突出していたわけではありませんが、その将来性が30年後の世界に通じるものと彼は予見していたことになります。また彼の死後30年近く経った現在でも多くの事業がありますが、繊維、アルミ、セメントは現在の中核事業です。また海外事業にも力を入れます。インドで財閥規制が起きていたころちょうど東南アジアでは経済の開放が進み、外資の積極的な受け入れを始めていました。

 ビルラをはじめインドの財閥にとって海外進出は必然のことでもありました。ビルラの海外事業はGDの弟のBMビルラを中心としてアフリカ事業だけでしたが1969年に「インド・タイ・シンセティックス」を設立してタイに進出、年産24万トン級のレーヨン工場を建設します。タイ進出を皮切りにフィリッピン、マレーシア、インドネシアへ進出していきます。この東南アジア事業を指揮したのが、一族で最も優秀なGDの孫のアディテイアでした。
  
 規制への失意と孫への希望を抱きつつGDは1893年ロンドンで息を引き取りました。
ロンドンで火葬された後、遺灰はインドに持ち帰られガンジス川にまかれました。GDには三人の息子がいましたが、三男のバサント・クマール・ビルラ(通称BK)がGDビルラの事業の大部分を継承しました。それはBKが優秀だったからではなくBKの子供であるアディテイアの才能が注目されていたからです。アディティアはカルカッタのカレッジで学んだあとアメリカに留学しマサチューセッツ工科大学で化学を学び1960年代半ばに経営に携わるようになります。

 GDビルラは多くの後継者候補である子、甥、孫たちの中で才能のあるアディティアに注目し可愛がっていました。晩年彼の関心は「GDが直接指揮していた企業群の業績」とアディティアの「海外事業の拡大」でした。ビルラ財閥の企業群は、「GD直系の系統」と「GDの兄弟の系統」に分かれていました。ビルラの各財閥は、GDの生前にはその求心力でよい関係を保っていましたがGDの死後、分裂は避けられないものとなりビルラは6系統に分かれました。

 アディティアは「GD直系グループ」を父BKとともに継ぎます。(BKはBKビルラ・グループとして存在しますが、実質的にはGD直系事業です)アディティアは癌に冒さ52歳の若さで1995年にこの世を去りビルラ財閥の中核事業はアディティアの父BKとアディティアの息子クマールが継ぐ形となります。今月はこれで終わり来月でビルラ財閥の最終回の予定です。

 

藤崎 照夫

Teruo Fujisaki

PROFILE

早稲田大学商学部卒。1972年、本田技研工業(株)入社後、海外新興国事業に長年従事。インドでは、二輪最大手「Hero Honda」社長、四輪車製造販売合弁会社「Honda Siel Cars India」初代社長として現地法人トップを通算10年務める。その後、台湾の四輪製造販売会社「Honda Taiwan」の初代社長、会長を務めた後2006年同社退職。現在はサンアンドサンズ社、ネクスト・マーケット・リサーチ社等の顧問として活躍インド、アジア事情に幅広く精通している。

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