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COLUMN コラム

駐在員のための  中国ビジネス ー光と影ー

2017.09.11

駐在員のための「中国ビジネス―光と影―」(第51回)中国ビジネス余話

菅野 真一郎

敦煌の風景

(4)悪徳ブローカーに気を付けよう(その11)

 ③悪徳ブローカーの事例(その9)

 今回ご紹介する事例は、職業的プロの悪徳ブローカーではなく、平凡な中国市民(あるいは華僑系市民)が単発的に日本の経営者を陥れようとした事例です。中国でのビジネスの世界ではふとしたきっかけでこのような落とし穴が掘られる可能性があるので、油断できません。日頃から各方面にアンテナを張り情報収集し続けることが大切です。
(中国では政治動向に留意しながら、経済活動は王道を歩む)

 1980年半ばの深?支店を嚆矢として、1990年代初頭から上海市を皮切りに中国主要都市での外国銀行支店開設を開放してきた中国は、90年代半ば、いよいよ首都北京市での外銀支店開設を認めることになり、世界各国銀行の北京支店開設申請ラッシュになりました。(当時も今も銀行の営業活動は「外商投資産業指導目録」では「制限項目」で、厳しい当局の認可審査を通らなければなりません)。
 日本を筆頭に米、英、独、仏、香港、東南アジア諸国が、それぞれの国に割り当てられるであろう第一陣枠1~2行の一番乗りを目指して、熾烈な競争が繰り広げられたのは、1990~1991年の上海支店開設申請などでも経験済みの光景でした。
 まだメガバンクに集約されていなかった日本の銀行も、7~8行が鎬を削っていました。何といっても認可第一号は新聞でも大きく報道され、中国における銀行としてのステータスを日本の経済界にアピールする大きな勲章になります。
 上海支店の場合はN行、T行、S行が第一陣で認可(それでも認可番号は1,2,3と順番がつく)され、第二陣は1年以上後になりました。北京支店でもこの3行を中心に複数行が第一陣の有力候補と言われておりました。
 いよいよその年の秋口には認可が下りると言われた夏前のことです。某有力邦銀のトップのもとへあるアジアの支店長から「(当時外銀支店開設の認可権限を持っていた)中央銀行のA副行長(副総裁)が当地に来れば定宿にするホテルの知人の青年経営者から、近く親しくしているA氏が来るので、本店の頭取または頭取名代のハイクラスの役員が来れば、お引き合わせできると言っている。北京支店認可一番乗りのチャンスです」と直接電話を入れてきました。トップはすぐに行内で中国担当部門に対応検討を命じたということです。
 当然行内の意見は分かれました。一つは、チャンスなのでトップまたは副頭取クラスが行くべきだ、A氏とのコネも今後役に立つとの主張です。もう一つは、上海の場合も中央銀行や関連経済官僚を正面から攻略して成功してきている、今回も粛々とアプローチしてきていて手ごたえはある、海外の出張先でのアプローチは、邪道か雑音と受け取られかねないので、リスクが大きいとの主張です。あまりにも差し迫った日程も要注意ではないかという中国部門の主張が通り、今回は見合わせることになりました。
 ところが全く偶然のことですが、当時香港の有力財界人が推進していた北京市中心街での大型都市開発プロジェクトにかかわっていた北京市副市長の一人が、ピストル自殺するセンセーショナルな事件が起きました。実は相当の金額の資金調達に行き詰まり、プロジェクトが前に進まなくなっていたという情報も流れました。
 我々外国人には事件の真相は闇の中ですが、A氏の定宿のホテルの青年経営者の話は、恐らく自分が親しい某有力邦銀の支店長に、北京支店一番乗り(になったかどうかわかりませんが)を餌に、大型都市開発プロジェクトへの資金貸付の約束を取り付ける橋渡しの役割を担っていたのではないかと推測されました。ホテルの青年経営者がA氏に頼まれたのか、香港の有力財界人に頼まれたのか或いは両者から頼まれたのか闇の中です。
 いずれにせよ某有力邦銀は、A氏との拙速な接触を避けたおかげで危うく難を逃れたということです。
 北京支店の邦銀の第一陣は残念ながら2行で、第二陣が認可されたのはだいぶ後のことです。
 この話の教訓は、中国ビジネスでは、「政治」と「経済」は自転車の前輪と後輪、どちらが止まっても転んで怪我をする。政治動向に留意しながら、経済活動は王道を歩むことに尽きるということです。
 ちなみに中国が上海支店認可に踏み切った1990年という年は、1989年6月の天安門事件に対する世界各国からの経済制裁が1年以上に及び、7月10日、アメリカのヒューストン・サミットで日本の海部総理が「中国の国際的孤立化は避けるべき」と表明して西側のトップを切って制裁解除に踏み切った年です。中国は最大の経済都市上海に外銀支店開設を認め、中国経済再興の起爆剤の一つにしようと目論んだことは間違いありません。中国共産党中央および国務院は同年4月に「上海浦東地区開発計画」を承認しています。浦東開発計画を陣頭指揮した朱鎔基上海市長は1991年4月、国務院副総理に就任しました。正に中国ビジネスでは、政治動向に留意しながら、経済活動は王道を歩むことに尽きるということではないでしょうか。

(つづく)

 

菅野 真一郎

Shinichirou Kanno

PROFILE

1966年日本興業銀行入行、1984年同行上海駐在員事務所首席駐在員、日中投資促進機構設立に携わり同機構初代事務局次長、日本興業銀行初代上海支店長、同行取締役中国委員会委員長、日中投資促進機構理事事務局長を経て、2002年―2012年みずほコーポレート銀行顧問(中国担当)、2012年4月より東京国際大学客員教授(「現代中国ビジネス事情」)。現在まで30年間、主として日本企業の中国進出サポート、中国ビジネスに係るトラブル処理サポートの仕事に携わってきた。

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