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COLUMN コラム

駐在員のための  中国ビジネス ー光と影ー

2020.02.17

駐在員のための「中国ビジネス―光と影―」(第78回)雪中送炭

菅野 真一郎

桂林夜景

1.昨年(2019年)12月以来、中国湖北省武漢市を中心に発生した新型コロナウィルス肺炎はNHK報道で本日(2020年2月16日)現在、感染者6万8,500人、重体1,957人、死者1,665人と報じられていますが、依然として日毎の増加基調は変わらず、中国はもとより日本でも一段の厳戒態勢に入っていて予断を許しません。春節明けの工場操業再開や営業再開が再々延期され、長期化すれば経済面の影響も計り知れない状況です。

 中国が相当な困難に直面している今、一衣帯水の隣邦・日本として中国に物心両面で支援を行うべきとの思いをお伝えしたいと思います。
 私は1984年、勤めていた銀行の上海駐在として赴任して以来中国ビジネスや中国・中国人との付き合いは35年になりましたが、いまだに「中国とは…」「中国人とは…」などを人様に説明する知見に乏しく、日々中国のニュースや出来事に接するたびに自分の知識を上書き修正している状況です。次ページに示す「中国人の陰徳」は、日本の「中越地震」(2004年10月)や「東日本大震災」(2011年3月)の時に中国から日本に差しのべられた数々の支援の一部ですが、中国や中国人を理解するのに助けになると思い個人的備忘録として記していたものを、取引先会社の勉強会や大学の授業のレジュメの参考資料として作成・配布していたものです。

2.中越地震については、所用で王毅大使と面会するため中国大使館を訪問し、正面玄関に展示されていた沢山の段ボール箱を山積みした数葉の写真を見ているとき、出迎えの大使秘書から直接お聴きしたエピソードです。その日王毅大使は早朝4時に起きて研修生たちのおにぎりを自分で作られたと聞き、私も感激しました。
 
 東日本大震災については、震災発生後所用で2~3度商務処の呂克倹公使と面談した時にいろいろお聞きしたエピソードをまとめたものです。日本のマスコミで小さく報道されたものもありますが、大半は一般には知られていないエピソードであり、「中国人の陰徳」と題した理由でもあります。③の大畠国交大臣から「燃料油が足りない」との要請を受け2日後には大連港から広島県江田島に送り届けた事情は説明が必要です。本来送り届けるべき日本の東北地方の港はいずれも津波で破壊され混乱状態にあったのと、日本政府から「外国政府からこのような大量の燃料油を受け入れた経験がない」と言われたために、呂克倹公使が日本の関係方面と交渉して、江田島にあった民間企業のタンクに売却して現金化して寄贈したということです。呂克倹公使が東京―江田島を日帰りで出張した不眠不休の活躍を、さりげなく話されたことにも、私は感動しました。

3.日本が大地震に見舞われ大変困っていた時に、中国が素早くタイムリーに救援の手を差しのべたことを中国では「雪中送炭」と四字熟語で表します。(以前中国人との付き合い方に関してご説明しております)。もちろん日本からもこれまで数々の「雪中送炭」的救援の手を中国に差しのべてきています。中越地震や東日本大震災時の救援もそれらの恩返しの意味もあるかと思います。そうであればなおさらのこと、中国が先の見通せない困難に直面している今、「雪中送炭」の精神で官民共同で中国に救いの手を差しのべるのが、日本のとるべき対応ではないでしょうか。

(参考)日本の大地震への中国からの支援活動(中国人の陰徳)

(1)中越地震(2004.10.23)
①地震発生5日後、10万ドルの義援金(中国紅十字会→日本赤十字社)
②冬に向かって、遼寧省から新潟県にダウンジャケット1000枚寄贈
  ――中国大使館員と研修生がジャケットを新潟県に届けるに当たり、当日早朝、王毅大使(現外交部長)自らが早起きして「おにぎり」をつくり研修生達に手渡す。研修生達は皆感激した。
(大使館の玄関の広報写真を見た小生に、王毅大使秘書が語る)。

(2)東日本大震災(2011.3.11)
①レスキュ-隊15名派遣(雲南省大地震で活躍した精鋭)
 3.11 派遣決定
 3.12 隊員集結
 3.13 日本到着(海外からの支援隊第1号)   
 3.21 帰国
②3.18 胡錦濤国家主席ほか党常務委員9名 北京の日本大使館を弔問
 4.12 温家宝総理   菅総理大臣に見舞いの電話、追加支援申し出
③3000万元(約5億円)の義援金
 タオルケット2000枚 テント900張 非常用電灯200個等を3回に分けて支援(上海――成田)
 3.15 大畠国交大臣から「燃料油がなくて被災地に物資が運べない」の電話を受けて、3.17 燃料2万トン(ガソリン、軽油各1万トン、1億8,000万元、約30億円相当)を無償援助(大連港から広島県江田島へ)
④中国紅十字会から日本赤十字社へ2600万元(約3億2000万円)寄付
⑤浙江省から友好県の静岡県へ100万元(約1600万円)寄付等々各地で
⑥3.31 中国の建機メーカー 三一重工集団から100万ドルの大型ポンプ車(地上100メートルから放水可能)を東京電力福島第一原発に提供、中国人技師三人も派遣し操作指導

 中国大使館の呂克倹公使によれば「中国大使館員は連日テレビに釘づけ、雪も降り寒そうでいたたまれなかった」「宮城県女川町の佐藤水産の佐藤 充専務が、20名の中国人研修生を高台に避難させ、自分は津波にのまれ亡くなったニュースは中国でも大きな衝撃と感動を与えた」「20名は全員宮城県に戻っている」由。

 「私(呂克倹公使)の秘書の韓君は、生まれた赤ちゃんを見に奥さんのいる上海に帰っていたのですが、自発的にすぐに日本に戻り私の活動を支えてくれました。日本の多くの中国人が中国に帰ろうとしていたのに、彼は日本に戻ってきたのです。とても感心しました」(呂克倹公使は2014年9月帰国、定年により引退されている)。

菅野 真一郎

Shinichiro Kanno

PROFILE

1966年日本興業銀行入行、1984年同行上海駐在員事務所首席駐在員、日中投資促進機構設立に携わり同機構初代事務局次長、日本興業銀行初代上海支店長、同行取締役中国委員会委員長、日中投資促進機構理事事務局長を経て、2002年―2012年みずほコーポレート銀行顧問(中国担当)、2012年4月より東京国際大学客員教授(「現代中国ビジネス事情」)。現在まで30年間、主として日本企業の中国進出サポート、中国ビジネスに係るトラブル処理サポートの仕事に携わってきた。

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