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COLUMN コラム

日本人ビジネスマンの見た  アメリカ

2017.07.18

「日本人ビジネスマンの見たアメリカ」38 『"質問"の日米比較』

北原 敬之

スペースニードル(Space Needle)はシアトルの中心地区にある1962年万国博覧会の際に建てられた。

 アメリカのトランプ大統領が記者会見で反トランプ色の強い放送局の記者からの質問を拒否してメディアから批判されたり、日本の政治家が記者からの執拗な質問に激怒して謝罪に追い込まれたり、「質問」は政治家にとって「鬼門」の1つのようですが、ビジネスマンにとってはどうでしょうか? ビジネスの世界でも、政治と同様、「質問」がその成否を左右する重要な要素の1つであると思います。筆者は、日本とアメリカ双方で、ビジネスマンとして、また研究者として、交渉・会議・ミーティング・学会・講演・シンポジウム・講義・プレゼンテーションなど多くの場面で、「質問する側」「質問される側」の両方を実際に経験していますが、「質問」についての考え方や行動には、日本人とアメリカ人で大きな違いがあるように感じます。今回のコラムでは、「質問」の日米比較を通じて、日本とアメリカの文化の違いを考えてみましょう。

 身近なところでは大学の講義です。筆者は、講義の最後に必ず質問の時間を設定していますが、一昨年まで教えていた大学のアメリカ人留学生クラス(講義は英語です)では、「質問ありますか?」と訊くと、クラス15名中少なくとも10人が手を挙げていました。それに対して、通常のクラス(日本人学生が99%)では、日本人学生はほとんど質問しません。ある日、日本人学生に「どうして質問しないのか?」と訊ねたことがありますが、質問したいことが無いわけではなくて、「どう質問したらいいのかわからない」とか「皆の前で質問する勇気が無い」とか「質問内容に自信がない」とかいう理由が多く、なんとなく、「講義は一方通行で聞くもの」という日本の伝統的な考え方が強く、「質問することに慣れていない」ように感じました。近年は、アクティブ・ラーニングの導入で日本の大学も「学生参加型」への変革を図っていますが、質問に対する「積極性」という面ではまだまだですね。一方、アメリカ人学生がたくさん質問してくれることは、教員の筆者には嬉しいことですが、正直言って、質問のレベルは「玉石混交」、良い質問もたくさんありますが、「講義聞いてなかったの?」と言いたくなるような低次元の質問もあります。彼らの様子を見ていると、「質問しないとバカだと思われる」とか「とにかく何か質問しなきゃ」という一種の脅迫観念みたいなものを感じているように見受けられます。厳しい競争社会アメリカで育った彼らは、高校時代から、「講義を黙って聞いているだけではC」「Aを取りたければ質問で他人と差をつけろ」と言われてきたので、競って手を挙げて質問します。極端な言い方をすると、何かを疑問に感じて質問するというよりも、自分の能力を誇示するために質問しているように感じることもあります。

 「質問」に関する日米の学生の姿勢・行動の違いは、ビジネスの世界でも同様です。まず、日本企業について考えてみます。会議等で日本人社員が質問するかどうかは、スピーカー(話し手)とリスナー(利き手)の関係で決まるように感じます。たとえば、話し手が上司で聞き手が部下の場合、部下は、たとえ尋ねたいことがあっても、遠慮して上司にはあまり質問しません。どうしてもわからないことがあれば、上司でなく、先輩や同僚にこっそり訊きます。つまり、会話の内容よりも、話し手と聞き手の関係性によってコミュニケーションの方法が変化する日本文化の特徴が、企業の日常活動における「質問」のなかにも色濃く反映しているということです。
それに対して、アメリカ人社員は、たとえ話し手が上司であっても、遠慮することはなく、どんどん質問します。 むしろ、相手が上司であれば、余計張り切って質問しているように見えます。上司に自分の能力を認めさせるために、頭をフル回転させて「質問」を考えていると言っても過言ではありません。

 ここまで、「質問する側」のことをお話ししてきましたが、「質問される側」のことも考えてみましょう。筆者の経験では、「質問される側」の考え方や行動のうち、日本人とアメリカ人で大きく異なるのは、「質問に応える時の明確さ」です。日本人は、質問に応える時、質問者のことを慮って、「NO」を明確に言いません。まず、「質問者の言い分を肯定して、その後、しかしながら、この部分は~です。」という形でやんわりと否定します。いわゆる、日本人が得意とする「YES,BUT~」 の構文です。日本人のコミュニケーションに慣れている日本企業のアメリカ人社員なら 「YES,BUT~」 は「NO」という意味だと理解しているので、問題ありませんが、国際会議では「誤解」の原因になります。「NO」ならば「NO」と明確に言うことが、質問者を尊重することになると考えるべきだと思います。グローバル社会における「質問」には、的確な質問をロジカルに問う「質問力」と、質問に明確かつスピーディーに応える「レスポンス力」 の2つが不可欠です。

 国際会議などに参加すると、日本人の英語力もプレゼンテーション力も格段に向上して、欧米諸国に比べて遜色ないレベルに達しており、日本人のひとりとして大変誇らしく感じていますが、いざ「質問」や「ディスカッション」の場面になると、まだまだ欧米人には敵わないと思ってしまうのは、筆者だけでしょうか?
 調和と秩序を重んじる日本人のコミュニケーションは、日本人の美点であり尊重すべきですが、同時に、国際会議では、「質問」や「ディスカッション」は「言葉による格闘技」のような側面があり、「勝つための質問力」や「勝つためのレスポンス力」が求められます。

北原 敬之

Hiroshi Kitahara

PROFILE

京都産業大学経営学部教授。1978年早稲田大学商学部卒業、株式会社デンソー入社、デンソー・インターナショナル・アメリカ副社長、デンソー経営企画部担当部長、関東学院大学経済学部客員教授等を経て現職。主な論文に「日系自動車部品サプライヤーの競争力を再考する」「無意識を意識する~日本企業の海外拠点マネジメントにおける思考と行動」等。日本企業のグローバル化、自動車部品産業、異文化マネジメント等に関する講演多数。国際ビジネス研究学会、組織学会、多国籍企業学会、異文化経営学会、産業学会、経営行動科学学会、ビジネスモデル学会会員。

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