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COLUMN コラム

世界最北の日本レストラン

2019.11.19

【世界最北の日本レストランーフィンランドで苦闘した あるビジネスマンの物語(112)】ロングトレイル -その3

長井 一俊

北欧の柏木

 フィンランドの首都であるヘルシンキの10月の平均温度は9度で、東京の同時期より12度も低く、その格差は冬に向かって大きくなっていく。それに対し、両都市の真夏の温度の差は6度しかない。地球温暖化により北極海の氷が解け続け、「地球の冷蔵庫」としての機能が失われつつある事を意味している。

 ロングトレイルの3日目に雨が降り、枯葉をベッドに仕立てられなかった為、その深夜と4日目の朝の冷え込みは身に染みた。靴を履いたまま寝て、歯磨きもせず、石鹸で顔を洗わない日が4日続いている。シャンプーをしていない頭は痒くてたまらない。

鱒が掛かった

 他方、小鳥たちは明るい声で鳴き、リス達は枝から枝へと飛び回っている。文明という蟻地獄にズボッとはまってしまい、這い出す事が出来なくなっている自分に気が付いた。しかし、同行者のトミーの目的が「自然環境への日本人の適応能力」を調査研究する為だと知った以上、泣きごとを言っては日本男児の沽券に係わる。私は作り笑顔をして、時に口笛も吹いた。

湧き水による水たまり

 4日目の午後、幅が広い川に出た。海が近いのだろう。無理と思ったが、釣竿を投げてみた。すると小さな疑似餌にも拘わらず、鱒(マス)が掛った。5キロはあるだろう。一両日分の食料は確保できた。前日に見つけた柏の木から切り取った葉が役にたった。日本では塩蔵して柏餅に使われるように、ものを包むのに適している。川辺の石の上で鱒を3枚におろし、塩を振って数枚の柏の葉にくるんでリュックに入れた。

 夕方、私達は小さな岩山に突き当たった。ジグザグに登れば超える事は可能であったが、トミーは私の体力と風向きを考えて、その岩陰で夜営する事に決めた。彼は夕食後に手製のタイマツをかざして岩山に登って行った。

遭遇する岩山

 テレビも無く、話し相手もいない退屈な夜を過ごしていると、やっと深夜に彼は戻ってきた。一体何をしていたのかと問うと『新月で星が良く見え、星座を見ながらギリシャ神話の数々を思い出していた』と、なんとまあロマンチックな答えが返ってきた。

 5日目の午後に、湧水が作った小さな水たまりを通りかかり、美味しい水が飲めたが、そこに魚はいなかった。「水清ければ魚棲まず」とはよく言ったものだ。トミーのレベルでは、その日に収穫したフレッシュなものしか食べない。しかし、果実や木の実だけでは体力が続かない。私には前日釣った鱒がある。彼はなにも持っていない。私は彼に魚を分けるつもりはない。いったいどうするのだろうか?

 日没近く、彼は足を止めてリュックから細い竹筒を取り出し、フッと口で吹いた。詰めてあった鋭い突起の石片が枯れ枝の上に止まったモリバトをとらえた。ノバトよりひとまわり大きく、夜食には十分な肉の量だった。彼が目指すところは、アメリカ北東部に現存するアーミッシュ(17世紀の移民当時の生活を守る宗教団体)ではなく、数千年前の旧石器時代を鑑にしているようだ。

 6日目 ポリまでおよそ40キロを残しながら最後の晩が来てしまった。翌日20キロを歩いたとしてもポリには到着しない。予定した一週間の旅を一日延ばそうかなと迷っていた。

 この晩のトミーは上機嫌で『貴男は予想よりしぶとかった。魚のさばき方も上手いし、靴ひもで葦を束ねて枕にしたのにも感心した。ポリまでは歩き付けそうにないが、一杯やろうじゃないか』と言って、私から取り上げたウオッカの口を開いた。私は『俄かだが、私は寿司職人』と言いながら、3枚におろした鱒を焼いた。回し飲みだが酒の肴もあって、素晴らしい酔い心地に浸った。

 私は彼になぜロングトレイルという過酷なスポーツにのめり込んでしまったかを聞いてみた。答えは意外なものだった。幼少期ロビンソン・クルーソーを夢中で読んでいた時、自宅にビデオデッキが入った。たまたま最初に見たビデオが、1980年に製作されたブルック・シールズ主演の青い珊瑚礁 (Blue Laguun) だった。この映画は:太洋を横断していた大型の帆船か火事で沈没した。高齢な船乗りが幼い男児と女児を助けて、小型の手漕ぎボートに乗り移り、数日後に無人島に漂着する。しかし船乗りは間もなく事故死してしまう。残された幼子二人は、船乗りに教わったサバイバル方法と自らの工夫を重ね、大自然の中で成長していく。その過程を描いた物語だ。

 トミーは、幼子が文明と無縁の孤島で生き残れるなら、自分も無人の森林で生きていけるはずだと考えたという。ブルック・シールズの美しい肢体と当時流行していた太い眉に魅了されただけの私とは、全く違っていたのだ。

 7日目の午後、トミーに先導されて国道に行き着き、道端でヒッチハイクを始めた。トミーは乗用車は選ばず、トラックが来て初めて手を挙げた。私達は一週間も風呂に入っていなかったからだ。

 私は荷台の上で、ポリまでたどり着けなかった悔しさをしきりに口にした。するとトミーは『マラソンは完走する事。登山は頂上を登破する事だが、ロングトレイルはそんな事を目的にはしていないんだ。雨の日にテントの中でじっとしているのもロングトレイルだよ。怪我をせずに生還できれば、それで良いんだ』と言って慰めてくれた。

 ポリの町が見えて来た時、『知っての通り、競馬で勝つには人馬一体。調子の悪い馬にいくらムチをあてても、勝ちはしない。“馬なり”が良いのだ。人生とは自分と言う名の馬にのって、ロングトレイルすることなんだ』とトミー先生は教えてくれた。

長井 一俊

Kazutoshi Nagai

PROFILE

慶応義塾大学法学部政治学科卒。米国留学後、船による半年間世界一周の旅を経験。カデリウス株式会社・ストックホルム本社に勤務。帰国後、企画会社・株式会社JPAを設立し、世界初の商業用ロボット(ミスター・ランダム)、清酒若貴、ノートPC用キャリングケース(ダイナバッグ)等、数々のヒット商品を企画・開発。バブル経済崩壊を機にフィンランドに会社の拠点を移し、電子部品、皮革等の輸出入を行う。趣味の日本料理を生かして、世界最北の寿司店を開業。

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