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COLUMN コラム

世界最北の日本レストラン

2018.03.19

【世界最北の日本レストランーフィンランドで苦闘した あるビジネスマンの物語(91)】愛と嫉妬と墓

長井 一俊

整然と石碑が並ぶ教会墓地

 3月も下旬になると、雪を降らす黒雲は消え、白雲の間から青空が見え始める。福寿草や二輪草が雪を割るように咲き出て、楓や白樺の小枝からは新芽が顔を出す。時折吹く暖かい東風が、道路脇に捨てられた雪を解かして、普段は美しいポリの街路も、この時期だけは水浸しになる。
 
 そんなある日、数人の喪服を来た中高年のご婦人達が、店頭に敷いたマットで靴底の汚れを落としながらやって来た。店の上階に住むアニタ・ショーベリさんが創設した小説愛好会のメンバー達だった。そのうちの一人が『アニタの葬式の帰りです。埋葬は10日後に行われます』と言った。

土葬用棺桶、手前に小窓

 アニタは一ヶ月程前まで、店のカウンター席でよく飲食をしてくれていた常連客だけに、彼女の死に私は少なからぬショックを受けた。

 話は3年程前に遡るが、開店当時アニタは夫で見栄えの良いハンス・ショーベリ氏を連れて頻繁に来店してくれた。夫のハンスはスウェーデン系フィンランド人で、フィンランドで生まれ育ちながらも、フィンランド語が全く話せなかった。

火葬用骨壺

 一方スウェーデン語には興味を持たなかったアニタは、タンペレ大学の英文科を卒業した。そこで二人はいつも英語で会話をしていた。二人はポリ中央病院の循環器科の待合室で知り合ったという。二人とも心臓に重い疾患を抱えていたのだ。病院の待合室で、アニタが英国の女流作家ヴァージニア・ウルフの本を読んでいた時に、ハンスから『難しい本を読んでいるのですね』と声をかけられて以来の仲だった。

 ヴァージニア・ウルフは英国の人気女流作家だが、文章は極めて難解で、外国人にはなかなか読みこなせなかった。そこで、日本をはじめ多くの国で、彼女の本を理解する為の読書会が作られた。今でも我が国には日本ヴァージニア・ウルフ協会がある。作家自身が強度の躁鬱病(統合失調症?)を患っていて、凡人とは違う心の旅路をたどった人だった。
 
墓地に隣接された斎場 私の店が開業してしばらくは、二人で店に来てくれていたが、その後はアニタが夜遅く一人でやってきて、カウンターで日本酒を所望するようになった。ある夜私は彼女に『ご主人はどうしているのですか?』と聞いてみた。すると彼女は『・・・私の失敗はハンスを、女性ばかりの読書会に入会させたことです。始めのうちは、彼女達はハンスに英文の解読を助けてもらっていたのですが、親しくなると買い物や、部屋の模様替えの手伝いまで頼むようになったのです。ハンスは“ノー”と言えない優しい人で、一方私も彼女達から嫉妬していると思われたくなかったので、いつも“どうぞ”と笑顔で送り出していました。それをよい事に、何人かの女性会員は食事や映画にもハンスを誘い出すようになったのです。その中には熟年の独身女性もいるのです。今日もどこへ行っているやら!』とため息まじりに話してくれた。
 
 世界最強のフィンランド女性の中にも自己主張を押さえて、お酒で紛らわすご婦人がいる事を知って、私はほっとした。ところが、それから間もなく、ハンスは心臓発作で急逝した。アニタは夫の老い先が短い事を予知していて、嫉妬しながらも夫に自由に行動させていたのだった。それを知って私は、アニタの優しさに心を打たれた。夫の葬儀を終えて間もなく、アニタは私の店のカウンター席で日本酒を飲みながら、『私も心臓が悪いのですが、あと2年間は絶対に生き抜いてみせます』と言った。
 
 それから2年間程は、来店の回数や酒量も減ったものの、私達は有名な作品の感想を交換出来る、良き友人同士になった。

 私はアニタの埋葬式に出席するため、街はずれにあるルター協会の墓地を訪ねた。フィンランドでは8割の人がキリスト教ルター派に所属し、カソリックやオーソドックス(正教)教徒は少数である。ルター派教徒の多くは収入の2%を教会に納めている。会社員や公務員は給料からの天引き納付を選択しているようだ。それらは教会の運営費に充てられているのだが、その一部は墓地の管理に充当され、手入れの行き届いた墓石が整然と並んでいる。 

 もっとも、ヘルシンキのような都会では、墓地の面積の不足が生じて、自ずと火葬が増え、同時に屋内霊廟も増えた。おごそかに飾られてはいても、屋内霊廟はやはり、コインロッカーを思い出させる。

 私が墓地に到着した時は既に、墓は掘り起こされ、深く掘られた墓穴の中にハンスの棺が横たわっていた。アニタを埋葬する前に、参列者は棺の小窓から彼女に別れの言葉をかけた。
 
 おどろいた事に、彼女の棺は、ハンスの棺桶の真上に埋葬されたのだ。火葬の場合、骨壺が何層にも重ねられる事は普通だが、土葬の場合でも多重が可能である事を初めて私は知った。ただし、それには条件があった。防疫上の観点で、埋葬されて2年間は、墓の掘り起こしは禁止されていたのだ。彼女が私に『あと2年は死ねない』と言った謎が解けた。「愛を語る人は多いが、愛を見た人はいない」と多くの作家が書き遺しているが、私はそれに「墓を見る人は多いが、墓を語る人は少ない」と加筆したいと思った。

 棺の小窓越に見える、微笑みを浮かべたアニタの死に顔には「ついに私はハンスを永遠に独り占め出来る」と書いてあった。
 

長井 一俊

Kazutoshi Nagai

PROFILE

慶応義塾大学法学部政治学科卒。米国留学後、船による半年間世界一周の旅を経験。カデリウス株式会社・ストックホルム本社に勤務。帰国後、企画会社・株式会社JPAを設立し、世界初の商業用ロボット(ミスター・ランダム)、清酒若貴、ノートPC用キャリングケース(ダイナバッグ)等、数々のヒット商品を企画・開発。バブル経済崩壊を機にフィンランドに会社の拠点を移し、電子部品、皮革等の輸出入を行う。趣味の日本料理を生かして、世界最北の寿司店を開業。

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