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COLUMN コラム

世界最北の日本レストラン

2018.07.09

【世界最北の日本レストランーフィンランドで苦闘した あるビジネスマンの物語(95)】ストライキいろいろ

長井 一俊

アウラ河

 「春眠、暁を覚えず・・・」唐の時代に詠まれた詩である。春の朝は気持ちが良くて、つい寝過ごしてしまうというのだ。そこで私は北欧の夏を「白夜、睡眠を覚えず」と詠んでみた。国はサマータイムにより、昼時間を1時間増やし、企業は出社と退社の時間を1時間早めて、長く太陽の恵みを楽しめる環境を整えた。職員は残業せず、与えられた長い夏期休暇を目一杯取り、夜半まで遊びに興じる。

 それでも、北欧諸国の一人当たりのGDPは日本人のそれよりも高い。どうしてだろうか?と考えていたある日の夕方、見慣れない中年の男性が来店し『大急ぎで寿司折りを3つ作って欲しい』と早口で言った。

トゥルク大学

 幸いディナー・タイムの直前であった為、仕込み中の寿司ネタを使って、手早く対応できた。

 その翌日、その男が奥様を連れて再度来店した。『あなたのお寿司のおかげで、娘の命が助かりました』と深く頭を下げた。ひとまずカウンター席に座ってもらい、その訳を奥様から聞かせてもらった。

 彼女の話を要約してみると: この9月に高校3年になる娘のローリーが、突然「トゥルクの高校に転校したい」と言い出した。父親は「トゥルク市に移りたければ、来年トゥルク大学に受験してみれば良い」と言ったが、娘は「それまで待てない」と言い張った。

トゥルク城

 母親はすぐに「一年先輩のボーイフレンドが9月からトゥルク大学に入学するからだ」と察したが、 17歳では早すぎると思い、主人に賛同した。

 すると娘はハンガー・ストライキ(以下ハンスト)を始めた。彼女は3日間、自室に閉じこもり、飲食を断った。ハンストは子供でも簡単に始められる抵抗運動だが、水分が不足すると、心臓に異常をきたし、生じた血栓が脳血管を詰まらせることがあり、極めて危険な行為である。

 母親は娘のローリーが、お小遣いのほとんどを私の店の寿司代に使っている事を思い出して『ハンストはお寿司を食べてから再開すれば良いわ』と言って、娘を自室から誘い出す事に成功した。

トゥルク大聖堂

 話し合いの結果、トゥルク高校への転校は許されたが、彼との同棲ではなく、高校のドミトリーに住む案で妥協した。

 ローリーがハンストをしてまで移ろうとしたトゥルク市は、国の最南西に位置し、隣国スウェーデンへの窓口として1229年に市制が始まった古都である。1812年にヘルシンキに遷都するまで、長きに亘って首府として栄えた。市内中央にはアウラ河が流れ、トゥルク城もトゥルク大聖堂も建設時の姿を留めている、歴史情緒豊かな市である。

 ストライキの語源はもちろんStrikeで、もともと「衝撃を与える」の意味であったが、日本では野球用語としてストライク、労働用語ではストライキと発音されるようになった。

 ハンストといえば、マハトマ・ガンジーが英国からのインド独立の為に行った非暴力抵抗運動を思いだすが、ストライキの歴史はずっと以前からあった。史上最も古いストライキとされているのは、エジプト最後の「大ファラオ」と呼ばれるラムレス3世(紀元前1182~1151)の時代、壮大な王家の墓の建設中に、給料の遅配が生じ、労働者が職場放棄した一件である。

 中国では3世紀に、西晋を建国した司馬仲達は、新参の側室に入れ揚げ、正室の張春華を顧みなくなった。宮廷で力を誇っていた正室は、夫に抗議するためにハンストを始めた。これが功を奏して、夫を取り戻す事に成功した。 

 英国では、離婚歴のある平民のアメリカ人女性と結婚する為に、イギリス王位を捨てたエドワード3世の行為は、イギリス連邦だけではなく世界中に大きな衝撃を与えた。王位という職責の放棄は、まさにストライキと呼ぶにふさわしい行為であった。
 
 日本では元禄・宝暦・天明・天保と大飢饉が続き、90万人が死んだという。
オホーツク海を越えてくる冷たい北東の風“やませ(山背)”に加えて、 浅間山大噴火(1783)の火山灰が大被害の原因とされる。そんな中では、お腹を空かしてのハンストなどは考えられなかった。

 日本での初のストライキは、熊本の遊郭で働く女郎達が、賃金の不払いに抗議して、客相手を拒否したのが最初と言われている。明治から昭和の中期まで、日本の津々浦々で愛唱された東雲節(しののめぶし) ♪なにをくよくよ川端柳・・・♪ で名を馳せた「東雲のストライキ」である。男性従業員が出来なかった事を、最下層の女郎達が成功したのは痛快である。

 私が北欧でじかに目撃したストライキは、1975年の猛暑の夏、ストックホルムの女性社員達がエアコンの設置を訴えて、水着で出勤した「ビキニ・ストライキ」である。これを期に多くの事務所やバス等の公共交通機関で、エアコンの普及が現実化した。

 社会を大きく変えたミシン、洗濯機、掃除機そして冷蔵庫の普及も女性の日常生活への抵抗の結果によるものだ。(男性用家電といえば、電気ヒゲソリくらいしか思いつかない)

 それにしても、善行には縁のない私にとって、自分の握った寿司が、少女のハンストを解き、人命の救助に役立ったのは慶事である。
 
「人生100歳」の声を聞くと、この歳になった私も、ローリーやエドワード3世のように、熱く純粋な恋をもう一度してみたい、と不純な考えが脳裏をかすめてしまう。

長井 一俊

Kazutoshi Nagai

PROFILE

慶応義塾大学法学部政治学科卒。米国留学後、船による半年間世界一周の旅を経験。カデリウス株式会社・ストックホルム本社に勤務。帰国後、企画会社・株式会社JPAを設立し、世界初の商業用ロボット(ミスター・ランダム)、清酒若貴、ノートPC用キャリングケース(ダイナバッグ)等、数々のヒット商品を企画・開発。バブル経済崩壊を機にフィンランドに会社の拠点を移し、電子部品、皮革等の輸出入を行う。趣味の日本料理を生かして、世界最北の寿司店を開業。

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