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COLUMN コラム

グローバル人事管理の眼と心

2019.02.04

【グローバル人事管理の眼と心(42)】報酬管理制度の設計とメンテナンス(その11)~「給与の開示(open salary)」か「給与の秘匿(secret salary)」の考察~

定森 幸生

 報酬管理に関する制度設計において、役職員の報酬額を本人以外に開示する会社方針については、当然のことながら極めて慎重な経営判断が必要になります。個人情報保護に対する企業の責任が厳しく問われる昨今の社会環境のもとでは、社員の給与額というセンシティブな情報を(社内および社外に)開示することは、違法なのではないかとさえ思う人も少なくありません。

 しかし、国によって法律上の要件は異なりますから一概に何が適切な経営判断かを結論付けることはできませんが、積極的に給与を開示する方針を定める企業が少なからずあることも事実です。その反面、雇用上の条件として、自分の報酬額を他の社員に口外することを厳禁し、それに違反した場合は解雇することを文書で取り決める極端な例もあります。

 今回は、給与額を含めた報酬情報の開示か非開示(秘匿)に関する企業の人事戦略上の思惑(期待)について、「プライバシーの保護」「個人の権利の擁護」「雇用差別の回避」などに最大限の配慮が求められる米国の例をもとに解説します。

 最初に、「プライバシーの保護」や「個人の権利擁護」が尊重される米国で、なぜ「報酬情報の開示」を行う企業が存在するかという点に言及しておきます。それは、1935年に制定された National Labor Relations Act (全国労働関係法:Senator Robert. F. Wagnerに因んでワーグナー法とも呼ばれます)によって、従業員が会社と団体交渉をする権利行使の目的で、自分たちの待遇改善のため従業員仲間と報酬について自由に議論する権利を認めているため、会社は、社員が自分の報酬額を他の社員に口外することをあからさまに禁止することができないという事情があるからです。

 もちろん、それだけの理由で、多くの企業が積極的に社員の給与額や報酬情報をオープンにする訳ではありません。現に、企業の中には、従業員(employee)の定義や範囲を法律の趣旨に沿って厳格に(できるだけ狭義に)規定し、それに該当しない幹部社員などには事実上の「緘口令」を課そうとする例もあります。しかし、近年の傾向としては、特に女性やマイノリティが被る待遇面での格差を解消する施策の一環として、「同一(または同種)の職務」について、公正な待遇を実現する努力をアピールする目的で、企業が自発的に報酬金額を社内外で開示する例がみられるようになりました。その場合、特定の個人の具体的な給与額ではなく、経験年数や熟達度などを反映させた一定の給与額の幅(salary range)として公表するのが一般的です。各個人に支給される報酬総額は、職務内容に該当する給与額の他に個人業績や組織業績を反映した金額が加算(減額)される場合もありますから、一定の条件を示したうえでの標準的なsalary range を公表する方が合理的だと考えられます。

 一方で、最近の傾向として、「ミレニアム世代」を中心に、SNSなどを通じて自分の報酬情報を交換することに抵抗感がない人たちも多くなり、インターネット上で企業が公開する職種や職責に呼応する報酬水準は、彼らの就職(転職)活動における企業選びの意思決定にとって、これまでにも増して重要な意味をもつようになりました。そのような環境のもとで、情報通信産業など比較的新しいサービス業界の中には、SNSの管理運営サービス会社Buffer, Inc. のように、社員の報酬額をインターネット上で公開(https://open.buffer.com/salary-formula/)
する例まであります。

 さらに、ニューヨーク市のソーシャルメディア・データ分析会社SumAll, Inc.のDane Atkinson CEOの発言にあるように、報酬を透明化(salary transparency)することによって会社の生産性が高まった(https://www.businessinsider.com/sumall-
ceo-says-salary-transparency-makes-people-more-productive-2017-5)と評価する例もあります。

 給与情報の開示の議論は、一時的な報酬管理制度上の流行ではありません。また、ITやハイテク関連企業に特有の慣行に限ったことでもありません。伝統的には、政府機関に代表される公共サービス分野や、私企業の中でも待遇面での平等主義を重視する組織風土の企業や労働組合の組織率が高い産業においては、法的な要件も関係するため長年行われてきた制度運用です。しかし、企業の報酬実態に関する情報が、人事労務管理担当者だけでなく、一般の個人も迅速かつ容易に入手できる時代になった今、企業の多くが報酬関連情報を戦略的に開示して、在籍社員および新規採用社員の企業に対する好感度や仕事に対するコミットメントを向上させ、離職率を低く抑えるためのツールとして活用するようになりました。

 もちろん、報酬情報の開示がどの企業でも常に有効に作用する保証はありませんし、逆効果になるリスクもあります。したがって、報酬額を機械的に社内外に公開するという、単にこれまで「タブー」と考えられてきたことを打破すること自体を目的化しないように注意すべきです。最も大切なことは、会社が報酬というツールを使って、社員の業績やエンゲージメントの高さに如何に誠実で公正に報いようとしているかを、現在および将来の社員に確信させる方法を、それぞれの企業固有の与件のもとで制度化することです。その運用過程で、一般社員の管理職や経営陣に対する信頼感と使命感を生み出すことができるよう、管理者と一般社員とが制度の本質的意義について理解を深める努力も大切になります。

定森 幸生

Yukio Sadamori

PROFILE

1973年、慶應義塾大学経済学部卒業後、三井物産株式会社に入社。1977年、カナダのMcGill 大学院でMBA取得後、通算約11年間の米国・カナダ滞在を含め約35年間一貫して三井物産のグローバル人材の採用、人材開発、組織・業績管理業務全般を統括する傍ら、日本および北米の政府機関・有力大学・人事労務実務家団体・弁護士協会などの招聘による講演、ワークショップ、諮問委員会などで活躍。『労政時報』はじめ人事労務管理専門誌への寄稿・連載も多数。2012年に三井物産株式会社を退職後、グローバル・プラットフォーム設立。企業や大学の要請で、グローバル人材育成関連のセミナーやコンサルテーションを実施する一方、慶應ビジネススクール、早稲田ビジネススクールで、英語によるグローバル・ビジネスコミュニケーション講座を担当、実務家対象の社会人教育でも活躍中。

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