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COLUMN コラム

チャオプラヤー川に吹く風

2017.09.19

【チャオプラヤー川に吹く風(54)】タイ国の教育事情 その3~大学創設と高等教育機会の拡大

齋藤 志緒理

チュラロンコン大学工学部にある、歯車を模したモニュメント。「100年・・・時代を超え、チュラ大の工学部は人を育て、その人が国家を造る」と記されている。(筆者撮影)

 タイ国で最初の大学(チュラロンコン大学)が創設されたのは1917年のことです。約100年後の2015年には、高等教育機関の総数は174校(公立が100校、私立が74校)にまで増えました。今号では、主だった国立大学の設立経緯と、その後の公開大学設置について述べます。

●主だった国立大学の創設

【チュラロンコン大学】

 1902年に設立されたRoyal Page’s School(王立近侍学校)が、1910年にCivil Service College に改組されたのがタイ国における大学教育のはじまりと言われています。

マヒドン大学に隣接しているシリラート病院。前プミポン国王は生前、この病院で治療を受けられた(チャオプラヤー川の水上から筆者撮影)。

 1917年にこのカレッジを中心に王立医学校と工学校を合わせ、さらに文理学部と政治学部を新設し、タイで最初の総合大学として設立されたのがチュラロンコン大学です。(設立年はラーマ6世王の治世ですが、1910年に崩御した父王、ラーマ5世の名前が冠されました。)

【タマサート大学】

 立憲革命(1932年)の理念を建学の精神とし、国民に奉仕する法律の専門家を養成する目的で設立されました。1933年、司法省の法律学校がチュラロンコン大学に統合されて法政学部となり、翌1934年にこれが「法政大学」(タマサート・レ・カーンムアン)として独立したものです。1952年に大学の名称から「政治」(カーンムアン)が外れ、タマサート大学(法科大学の意)に改称されました。

 チュラロンコン大学が英語を教育言語としたのに対し、タマサート大学ではタイ語で授業が行われました。また1960年までは、タマサート大学は、有資格者には入学試験なしで入学を許す公開大学でした。

【マヒドン大学】

 1888年に創設されたタイ国初の病院「シリラート病院」附属の「シリラート医学校」が前身です。1942年に医科大学となり、1969年にラーマ9世プミポン国王により(その父、マヒドン親王にちなみ)マヒドン大学と改名されました。米国ハーバード大学で医学を学び、シリラート医学校で教育・研究に尽力したマヒドン親王(ソンクラーナカリン親王)は、“タイ近代医学の父”と呼ばれています。

【カセートサート大学】

 1917年に初等教育農業科教師訓練養成校として設立され、1943年に農学、林学、水産など4学部を持つ大学となりました。「カセートサート」は「農学」を意味します。

【シラパコーン大学】

 1933年に創設された美術学校が、1943年に大学に昇格しました。
(詳細は、「チャオプラヤー川に吹く風(43)タイ近代美術の父 コッラード・フェローチ(シン・ピーラシー)」参照)

 創立時、タマサート大学は法学、マヒドン大学は医学、カセートサート大学は農学、シラパコーン大学は芸術を基幹学部としてスタートしましたが、現在はいずれも文理全般の学部を擁する総合大学となっています。

【モンクット王工科大学ラートクラバン校】

 上記5校に比べると時代は下りますが、1964年開設の「ノンタブリ電気通信大学」(前身は1960年創設の「ノンタブリ電気通信訓練センター」)が、1971年には国立大学に改編。在世中、西洋科学・技術の導入に努めたラーマ4世モンクット王の名前を冠した校名に改称されました。タイ国の工業化進展に伴う人材育成の必要に応え、多くのエンジニアを輩出してきた著名校です。

●高等教育の「地域化」と私立大学の認可

 1960年以前に設立された大学は、バンコク圏内に集中し、その他の地域には大学が一校も存在しませんでした。高等教育を地方でも受けられるようにするため、タイ政府は第1次(1961-66)、第2次(1967-71)国家経済発展計画の中で、高等教育の「地域化政策」を実施しました。

 具体的には、1964年に北タイの中心都市に「チェンマイ大学」が、1965年には東北タイの中心都市に「コーンケーン大学」が、そして、1968年には南タイの中心県ソンクラーに「プリンス・オブ・ソンクラー大学」が開設されました。また、地方の高等師範学校が統合されて、1974年に「シーナカリンウィロート大学」となりました。

 1969年には「私立大学法」が制定され、私立大学が創設されましたが、いずれも商科や経営の分野を対象とするカレッジでした(※私立カレッジの総合大学化が進行するのは80年代以降)。1970年時点では、私立大学の在籍者は国立大学生の2%でしたが、1975年には後述するラームカムヘン大学を除く国立大学の18%に、1985年には47%に達しました。

●二つの公開大学:ラームカムヘン大学とスコータイタマティラート大学

 1970年時点では、大学志願者の中で実際に入学できた学生は3割に過ぎませんでした。そこで、増大する高等教育への需要を満たすべく、1971年にラームカムヘン大学が設立されました。入学試験なしで入学できる「オープン・アドミッション」制度を取り入れた公開大学です。

 同大学の開設1年目にして、すでにタイにおける総学生人口のおよそ2割が、開設4年目の1974年には4割を超える学生が、ラームカムヘン大学に就学しています。

 1978年にはもう一つの公開大学「スコータイタマティラート大学」が開設されました。キャンパスを持たない完全な放送大学で、教材やカセットテープの郵送と、ラジオ・テレビ番組の視聴による自宅学習が基本。卒業前の最終学期登録時に、本部で開催される5日間の合宿研修への出席が必須です。

 ラームカムヘン大学はバンコク及び近郊居住者で、職業を持たないフルタイム学生が多く、年齢は22歳以下が7割以上を占めています。スコータイタマティラート大学ではバンコク在住者の比率は2~3割に留まり、9割以上の学生が社会人です。仕事を持ちながら、大卒資格を求めて入学するケースが多く、年齢層はラームカムヘン大学に比べて高いのが特徴です。

 公開大学は、大学進学希望者の需要に応えるという意味では、大きな役割を果たしてきましたが、「入学後のドロップアウト率が高いこと」「ラームカムヘン大学卒業生の就職難」などの問題もあります(スコータイタマティラート大学の学生のほとんどは既に職業を持っているため、就職難はあまり取りざたされません)。

 一般の国立大学の入学試験に不合格となった者の43%が二つの公開大学のいずれかに入学しているというタイ国大学庁のデータ(1986年)があり、こうした不合格者が公開大学入学者に占める割合は約3割です。

 つまり、公開大学は受験失敗者の「受け皿」となっている面があり、それゆえ、公開大学の大卒資格は社会では、一般大学のそれと同等には評価されないという現実があるのです。

※主な参考文献

苅谷剛彦「第2章・タイにおける近代教育制度の発展と公開大学」『研究報告36』放送大学,1991.

鈴木潤子「タイ公開大学の機能分析――学生のニーズ調査を通してみた」『比較教育学研究第21号』,1995.

齋藤 志緒理

Shiori Saito

PROFILE

津田塾大学 学芸学部 国際関係学科卒。公益財団法人 国際文化会館 企画部を経て、1992年5月~1996年8月 タイ国チュラロンコン大学文学部に留学(タイ・スタディーズ専攻修士号取得)。1997年3月~2013年6月、株式会社インテック・ジャパン(2013年4月、株式会社リンクグローバルソリューションに改称)に勤務。在職中は、海外赴任前研修のプログラム・コーディネーター、タイ語講師を務めたほか、同社WEBサイトの連載記事やメールマガジンの執筆・編集に従事。著書に『海外生活の達人たち-世界40か国の人と暮らし』(国書刊行会)、『WIN-WIN交渉術!-ユーモア英会話でピンチをチャンスに』(ガレス・モンティースとの共著:清流出版)がある。

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