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COLUMN コラム

チャオプラヤー川に吹く風

2017.10.16

【チャオプラヤー川に吹く風(55)】タイ国の教育事情 その4~タイ国における外国語教育(英語と中国語)

齋藤 志緒理

アユタヤ県のバーンパイン離宮内にある中国風の宮殿「明天殿(プラ・ティナン・ ウェーハート・チャルムーン)」。タイ国中華総商会の寄付により1889年に建築された。(筆者撮影)

 タイの公教育における外国語教育は、この国の「国際化」の過程で整備されてきました。今号では、この国で、歴史的に常に「外国語教育」の中心にあった英語について述べ、さらに現在、英語に次ぐ学習者数を誇る中国語にも触れたいと思います。

●外国語教育≒英語教育

 タイ国は西欧列強による外圧を受け、1855年に英国とボーリング条約を締結。資本主義経済圏の中に組み込まれます。植民地支配を受けず、独立を維持するためには、列強に「文明国」として認知される必要があったことから、19世紀後半以降、タイ国では様々な近代化政策が推進されます。当時のタイにとって「近代化」は「国際化(=西洋化)」を意味したため、近代的学校教育の開始当初から、外国語教育が重視されました。

 英語以外にフランス語などが教えられることもありましたが、外国語教育といえば、実質、英語教育を指すほどに、英語が他言語を圧倒していました。これは、タイを取り巻く国際関係がイギリスを中心とするものであったという事情を反映しています。

●英語=留学=エリート という三項一体の図式

 英語教育の導入期、実際に英語を学ぶ機会を得られたのは、王族や貴族、経済力のある中国系市民など、ごく一部の社会的上層階級の子弟でした。言うなれば、英語教育は、“エリート教育”として始まったのですが、時代が下っても、英語の能力が進学や就職の機会を左右する重要なファクターであるという実情に大きな変化はなく、「英語力をもつ者=留学経験者=エリート」という図式は、今日でも、依然存続しています。
(ただし、ベトナム戦争を契機として、タイ米関係が緊密化し、高級官僚の養成がアメリカ留学に依拠する形で行われるようになったため、主要な留学先は、イギリスからアメリカへと転換しました。)

●外国語教育の英語以外への拡充

 1977年に新国家教育計画が策定され、学制が7-5制から、(日本と同じ)6-3-3制に移行しました。新制度では、従来必須科目として位置づけられてきた英語が、自由選択科目になり、他の多くの外国語と同列に置かれるようになりました。(※前期中等教育では、英語、仏語、アラビア語、中国語、日本語より1科目履修。後期中等教育では、英語、仏語、独語、アラビア語、中国語、日本語、イタリア語、スペイン語、パーリ語から2科目まで履修。)

 その背景には、1973年に勃発した学生革命(※)があります。(※中産階級を中心とする学生勢力が民主化と米軍の撤退を要求して政府との対立が先鋭化。武力衝突に発展し、学生デモ隊に多数の犠牲者が出ました。この事件によりタノム政権は失脚。)翌、1974年に教育審議会によりまとめられた改革案は、同革命の影響から「平等主義」が打ち出され、それが外国語カリキュラムにも投影されました。つまり、タイ人が必要とする可能性のある言語をできるだけ平等に網羅的に取り入れ、かつそれらの履修を義務化しないという姿勢をとることになったのです。

 しかし、制度上、外国語は自由選択制に移行されたものの、実質的には必須科目と同様に重きが置かれ、その中で、英語は依然として中心的な位置を占めています。「小学5-6年生の少なくとも80%、中学生の98%、高校生の100%が英語を履修している」という1992年の調査結果(澤田稔)もあります。

 現在のカリキュラムでは、第一外国語は英語であり、必修科目の位置づけです。1997年より、英語は初等教育(小学校1年次)から履修され、第二外国語は、原則として後期中等教育より開始。独語、仏語、日本語、中国語、アラビア語、パーリ語、スペイン語、イタリア語の8科目から1科目選択します。(出典:国際交流基金ウエブサイト「日本語教育 国・地域別情報・タイ(2016年度)」より「教育制度と外国語教育」の項)

●中国語教育の現況

 タイ政府は、2007年に全国20カ所に「中国語教育センター」を設立し、教授法やカリキュラムの標準化を図ると共に、地方自治体と共同で中国語教師養成コースを開設しました。背景には、国際社会における中国のプレゼンス向上と、タイにおける中国語学習熱の高まりがあります。

 これとは別に、中国政府が語学と文化普及のために世界各地で展開する「孔子学院」がタイ国内でも2004年から順次開設され、現在その数は14か所に及んでいます。これは東南アジアでは最多で、2位はインドネシアの6か所です(2016年3月20日・朝日新聞・GLOBE「増えるか『中国の友人』」)。孔子学院はドイツのゲーテ・インスティチュートのように、自国を代表する「文化人」を名称に使っていますが、儒教を教えるわけではありません。中国政府による直接運営ではなく、中国の大学と現地の大学等の既存の教育機関が共同で設立、運営する形をとるのが特徴で、施設などハード面は現地機関が提供し、教師は中国の大学から派遣されます。

 タイでは、人口の約1割を占める華人(中国系市民)が民族語としての中国語を子弟に学ばせた歴史を持ちますが、上述の「中国語教育センター」や「孔子学院」のような学習機関は、非母語話者を対象としています。(※民族語としての中国語教育は「華語教育」と表現し、非母語話者に対する「中国語教育」と区別されます。)

●華語・中国語教育の歴史

 歴史を振り返れば、タイでは華語教育が制限を受けた時代がありました。中華民国成立後の1920年代以降、中国本土のナショナリズムがタイにも波及し、華人社会に「中国人」としてのアイデンティティが生まれました。1932年の立憲革命を経て、タイ・ナショナリズムが高揚し、華人の中国ナショナリズムと対立。1938年にピブーン・ソンクラームが政権に就くと、厳しい「排華政策」がとられました。タイの中華総商会や同郷会館などが華人子弟のために設立した中華学校(初等・中等学校)は、同政権下で「私立学校条例違反」とされ、300校近くが閉鎖されました。

 第二次世界大戦後は、華語教育への制限が一旦撤廃され、中華学校は戦前に閉鎖された場所が復興したり、新設されたりして600校近くに増えました。しかし、1948年にピブーンが再び政権に就くと、中華学校の新設は禁止され、華語の授業は小学校4年まで、校長はタイ人に限るなどの条件がつけられました。

 ピブーン政権は1957年に終焉し、その後、タイの華人政策は排斥から同化推進に転換します。この同化政策の下で、学校教育の「タイ化」が進められ、華人のための華語教育はさらに規制されるようになりました。長年にわたる、こうした制約の結果、タイの華人、3世・4世の中に華語を解さない人が増えました。

 1980年代以降、中国の経済発展に伴って中国語のニーズが高まり、1992年にはアナン政権が華語教育の規制緩和に動きます。1999年には大学入学試験の選択科目の1つとなり、教師についても、小学6年生レベルのタイ語能力を必須とする規定がなくなり、国外からの招聘が可能になりました。こうした路線の上で、「華人のための華語」ではなく、中国語の学習者数が伸びるに至ったのです。

 2015年のタイの公立中等教育機関の学習者数の上位3言語は、中国語、日本語、フランス語で、中国語は、第二外国語の「学習者数」「教師数」「学習機関数」全てにおいて首位です。また、2010年から2015年の学習者数の中国語の伸び率は2.27倍となっています。(上述の国際交流基金ウエブサイト)

※参考文献:

澤田稔「タイの近代化=国際化過程における外国語教育の展開――タイにおける外国語教育の歴史と現状」『国際開発研究フォーラム3』,1995年3月.

玉置充子「タイ華人社会における華語教育の現状」『拓殖大学華僑研究センター ニューズレター 第7号』, 2007年3月.

齋藤 志緒理

Shiori Saito

PROFILE

津田塾大学 学芸学部 国際関係学科卒。公益財団法人 国際文化会館 企画部を経て、1992年5月~1996年8月 タイ国チュラロンコン大学文学部に留学(タイ・スタディーズ専攻修士号取得)。1997年3月~2013年6月、株式会社インテック・ジャパン(2013年4月、株式会社リンクグローバルソリューションに改称)に勤務。在職中は、海外赴任前研修のプログラム・コーディネーター、タイ語講師を務めたほか、同社WEBサイトの連載記事やメールマガジンの執筆・編集に従事。著書に『海外生活の達人たち-世界40か国の人と暮らし』(国書刊行会)、『WIN-WIN交渉術!-ユーモア英会話でピンチをチャンスに』(ガレス・モンティースとの共著:清流出版)がある。

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