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COLUMN コラム

チャオプラヤー川に吹く風

2018.08.20

【チャオプラヤー川に吹く風(62)】ミュージカル『王様と私』をめぐって(1)

齋藤 志緒理

ラーマ4世モンクット王とチュラロンコン王子の肖像写真(2017年8月、カンチャナブリーのJEATH 戦争博物館に併設の建物内で筆者撮影。廊下の壁一面に王族らの古い写真が飾られている場所があった。)

 1951年に初演されたブロードウェイミュージカル『王様と私』は、以来何度も再演を重ね、全米ツアーや全英ツアーも行われてきました。1985年に病で亡くなる直前まで王様役を務めたユル・ブリンナーはこのミュージカルを代表する役者です。日本では1965年に初演され、松本幸四郎(当時)が王様を演じました。最近では、2015年に渡辺謙がブロードウェイで王様を演じて話題を呼びました。

 『王様と私』は1956年に映画化もされ、王様は舞台と同じくユル・ブリンナーが、アンナ役はデボラ・カーが演じました。翌1957年のアカデミー賞では、ブリンナーの主演男優賞を含め、5部門で受賞するという快挙を成し遂げ、まさに映画史に刻まれる作品となりました。

 『王様と私』に登場する王は、タイ国ラタナコーシン王朝のラーマ4世モンクット王であり、アンナとは、1862年から6年間、チュラロンコン王子をはじめとするラーマ4世の子女たちや正妃・側室らの教師として当時のシャムに滞在したアンナ・レオノーウェンス(Anna Leonowens)という実在の人物です。ミュージカルや映画では、アンナが文化の違いに戸惑いながらも、次第に理解と共感を深めていく過程が描かれています。

 このミュージカルによって、19世紀にタイ国近代化の礎を築いたラーマ4世に光が当てられましたが、タイ国内では、同ミュージカルや映画の興行はなされていません。また、タイの王宮を舞台とした戯曲でありながら、タイ人俳優が演じたこともありません。

 その背景には、どのような事情があるのでしょうか。

●『王様と私』のベースとなる史実

 ミュージカル『王様と私』に登場するラーマ4世(1804-68/在位1851-68)は、即位前の27年間を僧として過ごしました。(ブリンナー演じる劇中の王様が剃髪姿なのは、こうした史実を踏まえたものかもしれません。)出家中のモンクット王子はタイ古来の学問(サンスクリット語、パーリ語、仏教、文学など)に加え、西洋の科学や天文学、英語を学び、西洋事情や新知識を吸収しました。西欧列強の干渉が激しさを増した19世紀半ばに王位を継承したラーマ4世は、1855年以降、英米仏等の諸国と修好通商条約(不平等条約)の締結に踏み切るなど、植民地化を避けるための国の舵取りに腐心し、国力を増強すべく、国家の近代化に注力しました。

 ラーマ4世は即位の後、35人の妃との間に82人の子女をもうけます。次代を担う彼ら、特に将来を嘱望された皇太子チュラロンコン王子のため優秀な家庭教師の招聘が検討され、白羽の矢が立ったのがアンナでした。王宮ではそれ以前にも、米国人宣教師の夫人が子女らの英語教育にあたっていましたが、英語のみならず、近代的な知識や国際情勢、世界に通じるものの考え方を訓育できる教師が求められたのです。

 英国人女性アンナ・レオノーウェンス(1834※-1915)は、ウェールズに生まれ、幼いころ、父に従ってインドに渡ります。父の死去、母の再婚などを経て、1851年頃イギリス軍人と結婚。1957年、一家で夫の任地シンガポールへ赴きますが、わずか1、2年の後に夫が急死してしまいます。アンナは残された娘と息子を養うためにシンガポールで教職に就き、それがきっかけでタイ王室の教育係に選ばれました。赴任の要請を受けた際、彼女は娘を英国の学校に進学させ、息子のルイスのみを伴ってシンガポールを発ちました。この時アンナは28歳、皇太子チュラロンコン王子は9歳でした。(※生年を1831年とし、両親ともウェールズ出身ではなく、アンナはインド生まれだとする説もあり。)

●戯曲『王様と私』が生まれるまで

 アンナはタイ(シャム)で過ごした経験を基に2冊の回想録を記しました。『イギリス婦人家庭教師とシャム王室』(原題“The English Governess at the Siamese Court: Being Recollections of Six Years in the Royal Palace at Bangkok” 1870年)と『シャム宮廷生活』(原題“The Romance of the Harem” 1873年)です。

 アンナのシャム滞在から70年あまり経った頃(1927~37年)、宣教師の夫と共にシャムで暮らした米国人マーガレット・ランドンが、かつて同地に滞在したアンナ・レオノーウェンスに関心を抱きます。そして、アンナの著作2冊を基に『アンナとシャムの王様』(原題“Anna and the King of Siam”1944年)を著しました。この著作は、単にアンナの作品の要約ではなく、タイに馴染みのない読者も意識した構成とし、アンナの原作にはなかった、シャムに渡航する前の人生やシャムを去ってからの人生にも言及しています。自らの作品についてランドンは「75%は事実で、25%は事実に基づいたフィクション」と評していました。

 1946年、20世紀フォックス映画社はランドンの作品を下敷きに、同名の映画“Anna and the King of Siam”を制作します。この映画はアカデミー賞で2部門を受賞しました。筆者は同作品を観ておりませんが、アンナ・レオノーウェンスの原作からも、ランドンの著作からも逸脱した脚色があったということです。アンナの足跡を史実としてではなく、物語として描いたという点は後に続く『王様と私』と共通しています。

 そして1951年にブロードウェイミュージカル『王様と私』が、1956年に同名のミュージカル映画が誕生します。多くの歌が挿入されて、劇中劇もあり、娯楽性が前面に打ち出されているのが特徴です。劇中、タプティムというビルマの女性が国王の妻(妾)となるべく輿入れしますが、タプティムと、輿入れの旅に随行した祖国の若者ルンタとの悲恋が描かれるなどロマンスの要素もあります。また、アンナと王様の間にも、特別な感情が芽生えるという設定になっており、映画のクライマックスでは、“Shall we dance?”の歌と共に、アンナと王様がダンスを踊るシーンがあります。同曲は、周防正行監督、役所広司/草刈民代主演の映画「Shall we ダンス?」(1996年)のタイトル及び主題曲にも使われましたので、メロディーが思い浮かぶ方も多いのではないでしょうか。

●タイ国での反応

 タイ国では、アンナ・レオノーウェンスの著作について、「描かれているモンクット像が正しくない」「歴史やタイの慣習に関する記述も誤りに満ちており、娯楽を目的に書かれた文学作品として読むべき」といった評価が定着しました。1949年には王族セーニー・プラモート(第6代/17代/19代の首相)が講演でアンナの記述の不正確な点を挙げています。1950年には『シャム宮廷生活』のタイ語訳が出版されましたが、訳者に序文の執筆を依頼された作家で政治家のククリット・プラモート(セーニー・プラモートの弟、第18代首相)は訳者にその出版意図を問いただし、「アンナ・レオノーウェンスの著作は勝手なでっち上げ」と非難したそうです。

 ミュージカルや映画の成功に対しても強い反発が起こり、「聡明なアンナが、西欧文化に無知なモンクット王を教え導く」というストーリーが実際の歴史とかけ離れており、タイ王室を侮辱するものである…という批判を浴びました。

 1999年には、香港出身の俳優チョウ・ユンファが王様を、ジョディー・フォスターがアンナを演じた映画『アンナと王様』が封切られました。制作段階で20世紀フォックス映画社はタイ国内での撮影を希望し、タイ当局と数か月にわたって交渉を行い、脚本を修正しました。しかし、タイでのロケが許可されることはなく、完成作品も『王様と私』同様にタイ国内での上映が禁止されました。結局、ロケはマレーシアで行われました。
・・・次号に続く

主な参考文献:

小泉順子『歴史叙述とナショナリズム-タイ近代史批判序説』東京大学出版会,2006年(p.129-159「第5章 アンナ・レオノーウェンスの問いかけるもの」)

河部利夫『タイ国理解のキーワード』勁草書房,1989年(p.91-95「『王様と私』のころのタイ―タイ近代化の先駆者」)

齋藤 志緒理

Shiori Saito

PROFILE

津田塾大学 学芸学部 国際関係学科卒。公益財団法人 国際文化会館 企画部を経て、1992年5月~1996年8月 タイ国チュラロンコン大学文学部に留学(タイ・スタディーズ専攻修士号取得)。1997年3月~2013年6月、株式会社インテック・ジャパン(2013年4月、株式会社リンクグローバルソリューションに改称)に勤務。在職中は、海外赴任前研修のプログラム・コーディネーター、タイ語講師を務めたほか、同社WEBサイトの連載記事やメールマガジンの執筆・編集に従事。著書に『海外生活の達人たち-世界40か国の人と暮らし』(国書刊行会)、『WIN-WIN交渉術!-ユーモア英会話でピンチをチャンスに』(ガレス・モンティースとの共著:清流出版)がある。

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