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COLUMN コラム

マーライオンの眼差し

2017.06.19

マーライオンの眼差し (27) ASEAN50周年 (1)

矢野 暁(サムヤノ)

<シンガポール建国2年後に設立>

 皆さんもご存じのとおり、今年2017年8月8日にASEANは設立50周年を迎えます。シンガポールがマレーシア連邦から分離独立したのが1965年8月9日ですから、ちょうどそれから2年後の1967年8月8日に「ASEAN設立宣言(バンコク宣言)」が行われたわけです。

 ASEAN 発足以前の東南アジアには、1961 年に当時のラーマン・マラヤ連邦首相の提唱でタイ、フィリピン、マラヤ連邦の3ヵ国により結成された「東南アジア連合(ASA)」という機構が存在していました。(註:マラヤ連邦は63年にシンガポールとボルネオ島の二州が加わりマレーシア連邦へと拡大。)このASAが発展解消する形で、インドネシアならびに新独立国であったシンガポールが加わり、5ヵ国によるASEANが形成されました。
 その後、84年にブルネイ、そして90年代後半にベトナム、ラオス、ミャンマー、カンボジアの順に次々と加盟国が増え、現在は10か国で形成されています。単純に合計人口で比較すると、6億人以上を要するASEANは、EUよりも1億人程度上回る規模です。

20170619_2.jpg

 左はブルネイ加盟後のASEANの古いロゴで、束ねられた6本の稲の茎が団結を示している。 

 右は現在使われているロゴで、稲の茎が10本に増えている。


<反共防波堤から地域発展共同体へ>

 そもそも、なぜASEANが設立されたのでしょうか? 1960年代は、米ソ冷戦により世界が二分されている時代でした。(因みに私は80年代前半、この冷戦を中心とした国政政治を大学で学び、特にその冷戦状況下における東南アジアに焦点を当てた研究をしていました。)旧ソ連寄りの社会主義国家であるベトナム、ラオスに対する防波堤を築くべく、他の域内諸国がドミノ理論により赤化することを恐れた米国の支援の下、域内自由主義陣営を組織化したわけです。
したがって、設立当初は極めて政治色が強かったわけですが、80年代から90年代にかけて、より経済的な共同体へと変遷していきました。95年のベトナム加盟と97年のラオス加盟が、それを如実に物語っていますね。そのベトナムが、50周年を迎える2017年のASEAN議長国になっているというのも、ASEANの位置づけの変化を象徴しているように思います。


<戦後日本のパートナー>

 日本にとり、より厳密に言えば日本の経済にとって、東南アジア地域の安定と発展は非常に重要でした。 そしてその重要性は今も変わりません。同地域は石油や天然ゴムなどの原料供給地であり、また中東からの石油・ガスの「通り道」でもあり、更には低賃金で良質な労働力を得られる製造業の進出先でもあったからです。
 それゆえ、日本は東南アジアを最重要戦略地域と位置付け、域内諸国に対して多額のODA資金(日本国民の血税)をつぎ込んできました。その過程における汚職や非効率性等々の問題は横に置くとして、この地域の発展に対して日本のODAが果たしてきた役割は非常に大きかったと思います。(またまた自分のことで恐縮ですが、私は80年代中葉から日本政府機関の職員として、またアドバイザーとして、東南アジアでODAを通じた経済社会インフラ開発に従事していました。)
 日本にとり東南アジアが極めて重要なゆえに、この地域の安定と発展に寄与するASEANという共同体は、その発足当初から日本にとり密接にお付き合いしていくべき、そして支援を提供していくべき「かけがえのないパートナー」であったわけです。
 いま多くの日本企業がシンガポールに東南アジアや汎アジアの地域統括拠点を持つという状況があるのも、地域の発展と合わせて、ASEANという結束と、よりボーダレスな人や物の往来、そしてそこへの日本の長く深い関わりがあってのこと。50周年という節目にそうしたことを噛みしめつつ、こらからのASEANとの関わり方を、政府レベルのみならず、我々ビジネスパーソンなど個人レベルでも考えていこうではありませんか。

矢野 暁(サムヤノ)

Satoru Yano

PROFILE

慶應義塾大学を卒業後、東南アジア諸国における経済・社会インフラ開発に従事。その後、英国投資銀行にて、食品・飲料、ヘルスケア、衣料、小売等の分野のクロスボーダーM&Aの仲介・助言業務に携わる。ベトナム政府に対する国家開発支援アドバイザー、同国での多岐にわたるベンチャー事業の成功を経て、1999年にCrossborderをシンガポールに設立。ASEANを中心に、B2C・B2Bの事業を問わず大手日本企業や中堅企業がアジアで新規市場参入および事業拡張・改善をするために、戦略、組織、パートナーシップ、マーケティング、人材などの面で支援を行っている。また、アジア・ASEANや異文化・リーダーシップなどをテーマとする企業向けセミナーおよび社内研修の講師も務める。シンガポール経営大学(Singapore Management University: SMU)の企業研修部にて、日本企業、多国籍企業、シンガポール企業へのプロジェクト・コーチ&ファシリテーターも兼務。「アジアから日本を元気にする!」と「草の根レベルで地道にコツコツと」をモットーに、アジアを駆け巡りながら毎月の訪日も欠かさない。シンガポール永住。

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