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COLUMN コラム

駐在員のための中国ビジネス ー光と影ー

2015.11.02

駐在員のための「中国ビジネス―光と影―」(第27回)駐在員心得(その13)

菅野 真一郎

(4)現地化推進 

上海の旧市街

③人の現地化(その4)―前回からの続き

しかし、2003年5月18日、再び大きなアクシデントに見舞われました。
前年秋から中国各地に広がりつつあったSARSの真性患者が4名、工員から発見されました。直ちに工場は操業停止、4名の患者は病院隔離、194名の密接者は近所のホテルを借りきり隔離、3,200名の独身寮生は寮で隔離式管理下に置かれました。患者発生の翌日5月19日には社内にSARS対抗指揮部が発足、情報収集、広報、物資調達、独身寮管理、従業員管理(ケア)等六つのプロジェクトチームが300名で組成されました。独身寮管理プロジェクトチームは、3,200名の食事等の世話をする役割です。

日本の本社SARS対策責任者の副社長は「これまでの光明正大、ウルトラオネストの経営方針通り公表すべき」として、5月19日本社記者会見で事実を公表しました。
4人の真性患者や194人の密接者の世話係として5人の男性が手を挙げその任務にあたりました。工会主席(労働組合委員長)は寮生の誕生日のお祝いを催しました。発生部署や発生原因究明のため寮生3,200名の部屋割り変更=引越しも行われました。日本側総経理、製造部長、総会計師等の責任者によれば、この時の中国側の奮闘振り、意気込みは眼を見張るものがありました。
「従業員5,000人の会社が潰れてしまう」「この会社を潰してはいかん」。全てはこの二つの言葉に集約されたそうです。今振り返るとほとんど中国人が中心に頑張り、「危険なので日本人は出勤しなくとも自分達が頑張る」とも言われたそうです。
患者発生から二週間、5月31日に事態は解決し、生産復帰に漕ぎ着くことが出来ました。6月2日には隔離者の世話に携わった「五人の英雄」が戻り正門玄関で皆に出迎えられました。本社の対策責任者である副社長も皆を激励するために駆けつけました。
真性患者4人も現在は職場に復帰しています。
合弁会社はこのSARSとの闘いの勝利は、「三つの限界」を乗り越えて初めて実現できたと総括しています。即ち、勇気と粘り強さの限界、体力と忍耐力の限界、チームワークの限界だと言います。
総経理は、従業員を一つの方向に向かわせる事の重要性を再認識し、日中双方の信頼関係がより強固になったことを実感したと言います。製造部長や総会計師は、SARS禍を乗り越えてからは、諸々の経営目標は、大きな方針を提示すれば細い事業計画は中国人幹部が中心となって自発的に策定され、しかもそれが確実に実行されるので、手が掛からなくなったと言います。

SARS禍との闘いの模様は「真心英雄」と題して8分間のビデオに編集され、工場見学前の会社説明の最後に必ず放映されます。「真の英雄」という中国の流行歌をバックに、5人の英雄や六つのプロジェクトチームの活動、隔離された寮生の生活風景、生産復帰後の工場整備や生産準備、事業計画策定作業等の模様が速いテンポでテロップの解説と共に流されます。
大変感動的なビデオです。
総経理は「会社スタート時は天安門事件を乗り越え日中相互信頼が強まり、SARS禍でも日中相互信頼が一層強まった。合弁会社はいずれ中国側に任せられる日が来るのではないか」とも述べておられます。
天安門事件や反日デモが起こる都度指摘される中国でのリスクマネジメントについては、中国側との強い相互信頼が構築出来ていれば、それ程問題視する必要は無いとも言い切ります。最後は現地の従業員が真剣に会社を守ってくれることを実感したと言います。

労務管理上もいろいろな工夫がみられます。
課長以上の管理職は100人いて、その内97人が中国のMBAを取得する等人材育成に注力すると同時に、自分の将来が見える処遇、待遇を実例として示すことが大事だと言います。
生産ライン(第1~第6)毎に、優秀作業員を毎月10名選んで写真を張り出し、奨金を与え、その中の年間20~30名の最優秀工員については、田舎の家族を2泊3日北京に招待し、工場見学と観光をアレンジしています。年老いた田舎の両親の中には大都会が初めてという人も多く、大変感謝されています。
規則は極力中国人職員につくらせると、彼らはその規則を守ろうと努力するとも言います。そして当社が掲げている標語は、「人正品真」(Ren Zheng Pin Zhen)――人物が正しければ良い品物が作れる――ここでもやはり「事業は人なり」を実践しておられます。

(つづく)

菅野 真一郎

Shinichiro Kanno

PROFILE
1966年日本興業銀行入行、1984年同行上海駐在員事務所首席駐在員、日中投資促進機構設立に携わり同機構初代事務局次長、日本興業銀行初代上海支店長、同行取締役中国委員会委員長、日中投資促進機構理事事務局長を経て、2002年―2012年みずほコーポレート銀行顧問(中国担当)、2012年4月より東京国際大学客員教授(「現代中国ビジネス事情」)。現在まで30年間、主として日本企業の中国進出サポート、中国ビジネスに係るトラブル処理サポートの仕事に携わってきた。

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