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COLUMN コラム

駐在員のための中国ビジネス ー光と影ー

2016.01.04

駐在員のための「中国ビジネス―光と影―」(第29回)駐在員心得(その15)

菅野 真一郎

(5)現地化推進

雲南省の街並み

3)人の現地化(その6)

これまで5回に亘り、「人の現地化」について述べてまいりましたが、今回は1984年以来交流のある知人の工夫の事例をご紹介したいと思います。

江蘇省揚子江沿岸の地方都市の手編み高級アウターニットメーカーA社(独資)の総経理B氏は、日本人一人で500名の女工さんを管理していますが、実は中国人の女性工場長はじめ女工から選抜した7~8名の幹部がB総経理の工場運営をサポートしています。
SARS騒動の極く初期の段階でこれらの幹部から「これは大変な事態になりそうだ」との忠告を受け、工場の衛生管理、職員及びその家族の衛生管理には万全の対策を講じました。著名デザイナーのパリコレ出展など緊急を要する製品の上海→本社のハンドキャリーの時は、空港で本社社員に商品を手渡し、荷物を運んだ中国からの渡航者(女性幹部)は空港から一歩も外に出ることなく中国に舞い戻ってきたそうです。B総経理は「中国人が本気になった時の集中力はもの凄い」と驚嘆されていました。

B総経理自身、中国人職員の忠誠心と志気高揚のために様々な工夫を凝らしています。
従業員の家庭に病人その他の困難が発生した時は幹部の合議制で会社が費用負担等の支援をする――いざ困った時の安心を与える。
年一回全従業員のバス(十数台)日帰り旅行―― 子供も全員参加―― 家族の会社に対する理解を深め、家族ぐるみの忠誠心を培う。
同じ主旨で年一回子供の工場見学会を催し、自分の母親の仕事振りを見学し、お菓子をもらって、母親と一緒に家に帰る。
毎週土曜日の午後は「お風呂の日」。従業員(大半は女工さん)の子供が全員工場にやってきて、母親と一緒にシャワーを浴びて家に帰る。
年一回日本の本社のある地方の民放からアナウンサーと地元のボーカルグループを招き、工場で演奏会を催す。地元政府の幹部、現地日系企業駐在員等地元の知人友人を多数招待し、地域社会との親睦に努める。なおB氏自身も出張で日本に帰ったときは、時々当該民放に生出演し、中国現地の様子を伝えて話題を提供しているということです。

また当該地方都市も中国経済発展の恩恵を受け、すごい勢いで近代化していて、従業員の各家庭にはシャワーやお風呂(バス)が普及して、2~3年前から「お風呂の日」は無くなりました。バス旅行も最近は旅行費用を配り、各家庭の自由に任せているということですが、長年に亘るかかる配慮は、中国人職員の忠誠心涵養に大いに役立っていることは間違いありません。
江蘇省の一農村都市ならではの実にプリミティブな気配り、気働きの事例ではありますが、その根底にある、物の考え方は誰からも共鳴を得られるのではないかと思う次第です。
なおB氏については、杉本信行元上海総領事の著作「大地の咆哮」の中で、実名は書かれてはおりませんが、「駐在員の鏡」として詳しくご紹介されております。

上海市に中国事業の本拠を置く大手メガネ販売店C社の成功も現地化の成功例だと思います。
12億(当時)の人口大国中国の膨大なメガネ市場を目指して社長(現会長)一行が上海に来られたのは1991年のことで、以来本社会長や現地総経理との交流は20年以上になります。メガネ店で働く技術者養成のため上海工業大学に銀鏡学部を開設し、検眼機械等設備一式を寄贈、検眼技術を教える教員養成のため、3名の候補者を本社研究所に招聘し研修を行いました。

毎年50名の技術者を輩出していますが、当初はこれを受入れるチェーン店が展開出来ず、他のメガネ店に流出していました。一号店を上海市内金陵路に開いたのは1992年、その後も遅々としてチェーン展開(当時は直営店のみ)が進みませんでした。店舗の大家から足元を見られて賃借条件が法外に高く、とても採算が見込めそうになかったからです。
一方で最新の検眼機を使ったC社のメガネは良く見えるという評判が立ち始め、中国の百貨店やショッピングセンター等への出店が進展しました。カルフールからは集客効果が大きいとして全国30店以上の店舗には必ず出店を求められるようになりました。現在店舗数は三桁を越え、全国の従業員数は数百名、しかも驚くべき事は、現地のマネジメントは1991年の初訪中以来上海に駐在するD総経理と1993年派遣され上海に駐在するE副総経理、更に店舗のデザイン指導のためのF氏の3人の日本人です。この3人の日本人を支えているのは、一号店開設以来D総経理の右腕として通訳も兼ねて行動を共にしてきた中国人女性の副経理を初めとする中国人幹部です。本社会長によれば「フランチャイズが外資に開放された今、500店舗も夢ではないとD総経理は豪語している」そうです。現在D総経理は本社副社長にも就任して、日中間を往復する多忙な日々です。

中国市場進出にあたり、優秀な検眼技術者を養成し、最新の設備を使い、国民の眼の健康増進に貢献するという本社社長の経営理念が、上海工業大学の王洪生学長(中国の宇宙物理学の最高権威、その後復旦大学学長を経て引退)の心を動かし、困難と思われた眼鏡学部の開設を実現し、中国人職員の高い志気に結びついているのではないかと思われます。

(つづく)

菅野 真一郎

Shinichiro Kanno

PROFILE
1966年日本興業銀行入行、1984年同行上海駐在員事務所首席駐在員、日中投資促進機構設立に携わり同機構初代事務局次長、日本興業銀行初代上海支店長、同行取締役中国委員会委員長、日中投資促進機構理事事務局長を経て、2002年―2012年みずほコーポレート銀行顧問(中国担当)、2012年4月より東京国際大学客員教授(「現代中国ビジネス事情」)。現在まで30年間、主として日本企業の中国進出サポート、中国ビジネスに係るトラブル処理サポートの仕事に携わってきた。

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