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COLUMN コラム

世界最北の日本レストラン フィンランドで苦闘したあるビジネスマンの物語

2016.10.31

【世界最北の日本レストラン―フィンランドで苦闘した あるビジネスマンの物語(73 )】2号店への誘い

長井 一俊

遠距離高速バス ライアンエアー タンペレ市庁舎

雪の日、晴れの日、霙(みぞれ)の日が繰り返す11月の初旬は、お客の入りがめっきりと減ってしまう。それでも週に一度は来店して、キッチンに一番近いカウンター席に座って寿司を食べる無口な青年がいる。この日、彼は突然私に『是非、相談に乗って欲しい事があります』と切り出した。

客が途切れた時なので、私は彼の相談とやらを聞く事にした。彼は『父はタンペレ空港を拠点に、6機のセスナと6人のパイロット、2人の整備師を雇用するチャーター会社を経営していました。しかし4年前に急逝して、私がその会社を相続しました。ところがその直後「ノキア社のオーナーが、自社用やチャーター機を使わず、旅客機、しかもエコノミー・クラスで出張した」という噂が流れました。それ以来、企業のコスト意識が急速に高まって、チャーター機を使う客が激減しました。私もそれに応じて会社を縮小し、現在は2機のセスナと私を含めて2名の操縦士で会社を続けています』

『それはお気の毒ですね。日本でも、ほとんどの会社役員がハイヤーからタクシーに乗り換えました。そういう時代になったのです』

『その上、格安航空会社のライアンエアーが、タンペレ空港を基点に“パリ・ロンドンへ1ユーロ(約120円)”のキャンペーンを始めたのです。以後、私の仕事はさっぱりです。一方、タンペレ空港はこの格安航空機の乗客で混雑するようになり、空港ビルの拡張が進んで、飲食店の招致も始まりました。私はたまたま、ポリのこの店で貴方の寿司を食べてから、寿司屋を開きたいと思う様になりました。開店費用はセスナ機を売却した資金で、まかなえると思います。モスクワやロンドンで、多くの回転寿司を見て来ましたが、私はこの店のような、人がにぎり、人が出す寿司屋を開きたいのです』

寿司職人の確保や酒類取扱免許の取得が困難なので、『寿司屋は無理です』と即答した。彼は『この店の2号店と考えて頂いても結構です。店舗の候補地だけでも見てくれませんか。セスナ機で送迎します』と、食い下がってきた。この1号店の経営で目一杯なのに、もう一軒など、とんでもない事だ。

次の休日にタンペレに行く事は承知したが、断わりに行くのに、セスナ機の送迎では心苦しい。そこで、バスで行く事にした。

タンペレ市はポリから東に120キロ、ヘルシンキからは北北西に180キロに位置し、内陸交通の要所である。人口は20万程であるが、その数は年々増加して、トゥルク市を抜いて、フィンランド第二の都市になろうとしている。市の南はピハ湖、北はネシ湖に臨み、極めて風光明媚な地である。

1918年(フィンランドが独立した翌年)に、当時国内をニ分していた白軍(政府軍)と赤軍(共産軍)がこの地で衝突した。世に「タンペレの戦い」と呼ばれる内戦である。この戦いでマンネルヘイム将軍率いる白軍が勝利して、現在のフィンランドの基礎を成した。よって、「タンペレの町からフィンランドの現代史が始まった」と言われている。

フィンランドでのバスの旅は、チョットした楽しみがある。日米では絶滅種になった路線バスの女性車掌(和製英語でバスガール)がフィンランドの長距離バスでは生き残っていて、切符販売の他、新聞や雑誌の貸し出し、時にはコーヒーやスナック菓子までサービスしてくれる。

「本当はエアーホステスになりたかった」と言う娘達が多い。フィンランドのバスガールが合理化の嵐を乗り越えられたのには理由がある。長距離バスは人間だけではなく、バス駅気付けの軽量貨物や郵便物を輸送するからだ。バスガールは停車駅で、荷下ろしや伝票処理もする。その間、運転手はコーヒー・ブレークが取れ、安全運転に専念できる、という訳だ。

それにしても、断りに行くための旅行は気が重い。しばし、日本の友人から送られてきた、小説「橋本左内」を読む事にした。佐内は維新の功労者で、数少ない思想家の一人だ。坂本や西郷は、思想家の描いたロードマップ上で活躍した、ヒーローにすぎない。丁度物語が面白くなった頃、タンペレ中央バス駅に着いた。そこにはタイミング良く、空港行きのバスが待っていた。

タンペレ空港には何度か来たことがあるが、いつも閑散としていた。今回は大きな旅行用バッグを持った老若男女で混み合っていた。「パリ・ロンドンへ1ユーロ」は一時的キャンペーンではあったが、テレビや新聞で大きなニュースになり、ライアンエアーは一躍、格安航空の代名詞となった。

私は彼の事務所で、ポリで遭遇した開店までの苦労話を聞かせた。それに対して彼は『空港内という立地条件の良さから、やろうと思えば、年中無休で営業ができ、採算は十分に見込めます』と反論してきた。どう諦めさせれば良いかを考えていると、彼は『飛行機は、人身事故がいつ起こるか分からないので、心安まる時がありません。それが転業したい最大の理由です』と言った。

シメタ!と思って、私は『貴方も食物アレルギーの事は知っているでしょう。大豆アレルギーで子供が急死する事もあるのです。日本食に必須な味噌、醤油、豆腐などは大豆から作られています。子供が入店する度に、アレルギー事故の恐怖にかられます。安心がお望みなら、寿司屋は開かないことです』と言った。彼はショックを受けたようで、言葉が返ってこなかった。それでも彼は、私をタンペレの中央バス駅まで、車で送ってくれた。

ポリ行きのバスの発車時刻まで、かなりの時間があったので、美しいタンペレの街をゆっくりと見物した。街の中心部にある夕暮れ時の市庁舎は、ことのほか美しかった。

帰りのバスに乗ると、バスガールはオバサンであった。「このほうが、落ち着いて本が読める」とショルダーバッグを開いてみると、読みかけの小説「橋本左内」が見つからない。どこかに置き忘れたのだ。読みかけの本を失くすと、テレビの野球中継が、熱戦中にもかかわらず、時間切れになった昔を思い出す。

しかし、何もする事が無いポリ迄の2時間余は、滅多に無い思考の時間だ、と考え直すことにした。橋本左内ではないが、天下国家の先行きを思想しようとすると、現代では下手なSF作家になってしまう。いま時の思想家は、理論物理か数学の探求者の中にいるのかもしれない。しかし私にはその領域に入る才能も資質もない。

学生の頃から世界の国を渡り歩くチャンスを与えられながら、私は迷走を繰り返して、たどり着いたのがパブ・レストランのオヤジだ。何回もあった分岐点での選択肢を再考しても、巡り巡って今の自分になってしまう。

今、思考すべき私の大事は、この3年目の冬をどう乗り切るかだ。最初の2年間は起業振興の名目で、市より人的にも税制面でも援助を受けていた。冬が近づくと、寿司ネタの鮮魚の価格は暴騰する。何とかせねば!

採算をとろうとすると、某家具メーカーの宣伝文句ではないが、商売の基本である“お値段以上”が、“お値段異常”になってしまう。

長井 一俊

Kazutoshi Nagai

PROFILE
慶応義塾大学法学部政治学科卒。米国留学後、船による半年間世界一周の旅を経験。カデリウス株式会社・ストックホルム本社に勤務。帰国後、企画会社・株式会社JPAを設立し、世界初の商業用ロボット(ミスター・ランダム)、清酒若貴、ノートPC用キャリングケース(ダイナバッグ)等、数々のヒット商品を企画・開発。バブル経済崩壊を機にフィンランドに会社の拠点を移し、電子部品、皮革等の輸出入を行う。趣味の日本料理を生かして、世界最北の寿司店を開業。

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