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COLUMN コラム

世界最北の日本レストラン フィンランドで苦闘したあるビジネスマンの物語

2017.03.21

【世界最北の日本レストランーフィンランドで苦闘した あるビジネスマンの物語(78)】北欧、牧場体験

長井 一俊

イハナ・シスコ 北欧の牧場

3月末にもなると、北欧でも降雪日の間隔が長くなる。この日、満面の笑みを浮かべた4人の家族連れが来店した。ご夫妻は何度目かだが、二人の娘を連れて来たのは初めてだ。姉が10才、妹が6才になるという。牧場主のこの家族が所有する新馬が、この日行われた通称「泥んこレース」で優勝したのだ。本格的競馬シーズン到来を待ちきれない馬主たちやファンたちが、声をかけあって開く私的レースだ。賞金も出ないし馬券も売られない。馬場はぬかるみで、人馬ともに泥んこになる。このレースに、生まれた時から二人の娘が手塩にかけて育てた愛馬イハナ・シスコ(美しき妹)が優勝した。家族にとって、これ以上の歓びはない。私は日本の童謡、♪春よこい・・・赤い鼻緒のジョジョ履いて、おんもに出るのを待っている♪を思い出した。

 実はこのレース、馬主にとっては大きな意味を持つ。新馬の中に、牧場では“竜”と呼ばれ、飛ぶが如くに走る馬が、レースではからきし走らなかったり、ゲート・インをいやがりレースに参加させられない馬さえもいる。又、前年怪我をした馬の回復状態も分かり、今期の出走スケジュールを占える良い機会である。

 日本で競走馬は生産牧場、育成牧場、トレーニング・センター等を経て、競馬場に隣接する厩舎に移されることが多い。一方北欧では、広大な生産牧場内に育成やトレーニング施設があり、イハナ・シスコのように生産牧場からいきなり競馬場に向かうケースが多い。

 家族が寿司を食べ始めると、カウンター内にいる私に、ワイングラスを片手に持った、ご主人が小声で話しかけてきた。『娘達が育てたイハナ・シスコはサラブレッドの牝馬にしては背が低く、踝(くるぶし)が太いので、快速馬に成長する事は見込めない。その分、力と耐久性が必要な重馬場では、走るのではないかと思い、この泥んこレースに出場させてみました。予想通り、よく走って優勝しましたが、本格的な春になり、良馬場になると、あの馬は勝てないでしょう。私は一勝〇敗、勝率100%というお土産をもって、あの馬を競走馬ではなく、家族の一員としてのんびり暮らさせたいと思っています』

 ご主人との競馬談義が一段落すると、『暇な時に、うちの牧場に遊びに来て下さい。うちでは馬だけではなく羊も放牧しています。出来るなら、一泊して下さい』と奥様が申し出てくれた。それまで私は、馬や牛の牧場に行ったことはあるが、羊を飼う牧場を訪ねたことは無い。善は急げ、次の定休日の月曜日と、翌日の火曜日を臨時休業して・・・。『喜んでお伺いします』と答えた。

ご主人はテーブルの上のナプキンに、略図を書きながら『町はずれの国道を東に40キロ程走ると、左手に教会があります。そこを左に曲がると、この村唯一のスーパー・マーケットが見えてきます。その隣に郵便局がありますから、そこを右折して下さい。行き着く先が私の牧場です』と教えてくれた。

牧場は予想より遥かに広大で、少人数で森を牧草地に開墾するには気の遠くなる程の年月を要しただろう。北欧人の強さはバイキングに象徴されるが、その最大戦力となった戦艦を造ったのは、「切り出された木材と、開墾した強靭な肉体と精神によるものだ」と新発見した思いがした。フィールドには、多くのサラブレッドと北欧では人気のある繫駕競走(トロット)に適した“スタンダード”馬が、羊の群れと違和感無く共生していた。

牧場の主婦は忙しい。朝は家族の朝食や洗濯、子供達の着替えや学校への送り出し。昼は、代わる代わるやってくる馬主達への接遇、母屋の掃除や花壇の世話までする。夕には晩餐とサウナの準備、そして日に一度は牧童頭から悩みや要望を聞いてあげる。まさに大家族の肝っ玉かあさんだ。

ご主人は、調教師、蹄鉄師、獣医、牧草の管理人やジョッキーとの打合せと、やはり多忙を極める。好きでなければやれる仕事ではない。娘達はイハナ・シスコの世話と牧童犬の餌やりを任されている。

馬に比べれば、牧羊は楽らしい。羊は従順だから、シェパードを初めとする牧童犬がスタッフを手助けしてくれる。羊は山羊(やぎ)を家畜化した動物であるが、その歴史は古く、紀元前6000年頃、モンゴルで始められたと言われる。羊の最大の特徴は、肉や乳の他に羊毛(ウール)を生産することだ。改良に改良を加え、世界市場を席巻する、柔らかいウールたっぷりのメリノ種が造られたと言う。 

私の子供の頃、母は遠来の客には先ず風呂を勧めた。風呂は客に対するご馳走の一つであった。同様フィンランドでも大事な客に対しては、夕食前にサウナでもてなす。客と主人がサウナに入っていると、奥様が真新しいタオルと缶ビールを隣の更衣室のテーブルに置いてくれる。サウナの後のビールに勝るものは無い。この日は、サウナの原点と言われる、スモークサウナ(詳しくは次章)で歓待された。

昨今、日本の家庭では食事にあたって「いただきます」「ごちそうさま」が聞かれなくなってしまった。フィンランドでも都会に住む家族は同様、食事時間がずれて、食前のお祈りはしなくなってしまった。しかし、牧場では違っていた。家族4人はテーブルに並んだご馳走を前に、目を閉じて、ぶつぶつと言いながら20秒ほど合掌した。

この日の夕食のメニューは、私の為に用意してくれた羊のステーキであった。円形の薄切りラムではなく、ビーフ・ステーキの様に厚く長方形であった。実は、日本の市場で販売されているものは、羊肉をいったん挽いてから、円筒形に成形・冷凍加工されたものだ。肉質が均一になり、スライスし易い長所があるから、のようだ。羊の肉は一歳を越えるものをマトンと呼び、一歳未満の仔羊の肉はラムと呼ばれる。しかしこの晩餐には、2ヶ月未満のベビー・ラムと呼ばれる、牧場以外では滅多に口に出来ないものが料理されていた。臭みは皆無で、柔らかく極上の牛フィレのようだった。

今朝まで元気に飛び跳ねていた仔羊が、夕方にキッチン裏に連れてこられ、私のために撲殺されたのだ。家族の皆は多分、犠牲となった赤ちゃん羊に詫びながら、神にその罪の許しを乞うていたに違いなかった。

この晩の私のベッドには、シーツの代わりに、真っ白な羊の毛皮が敷かれていた。身体と羊皮の間には、ウールが厚い空気層を作るために、冬は暖かく、夏は涼しいのだ。病院では、寝たきり患者の褥瘡(とこずれ)防止に使われているという。私はいつもの癖で、日本に輸出してみたいと考えた。(後日行った調査の結果、売り言葉である『とこずれ防止』をうたうには、医療用具としての許可を取得せねばならず、長い歳月と巨額の投資が必要になる事が分かって、日本への輸出を断念した)

羊の毛皮の上でまどろみながら、私は夕食時に見た家族の合掌する敬虔な姿を思い出した。同時に、初詣で近所の神社の賽銭箱に、僅かな額の硬貨をほうり込んで、手を合わせながら「家内安全」「商売繁盛」「無病息災」を祈願する、強欲で浅はかな自分の姿が瞼に浮かんだ。

長井 一俊

Kazutoshi Nagai

PROFILE
慶応義塾大学法学部政治学科卒。米国留学後、船による半年間世界一周の旅を経験。カデリウス株式会社・ストックホルム本社に勤務。帰国後、企画会社・株式会社JPAを設立し、世界初の商業用ロボット(ミスター・ランダム)、清酒若貴、ノートPC用キャリングケース(ダイナバッグ)等、数々のヒット商品を企画・開発。バブル経済崩壊を機にフィンランドに会社の拠点を移し、電子部品、皮革等の輸出入を行う。趣味の日本料理を生かして、世界最北の寿司店を開業。

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